12月20日

外科的緊急治療が必要になった場合の支援

一般病棟での筆者
一般病棟での筆者
6階にある一般病棟の窓には大きなガラスが埋め込まれていて、川口の市街地を一望できる。はるか遠方に懐かしいビルが見えた。翻訳者の仲間と協同で設立したドキュメント会社「アドック」と袂を分かち、平成2年(1990)5月に設立した有限会社「エルムンド企画」は、西川口陸橋脇のそのビルの一室を借りて事務所とした。しかし、その1年後心筋梗塞で倒れ、この済生会川口総合病院で1ヶ月半におよぶ病気治療を受けた。

一般病棟の病室から眺めた市街地
一般病棟の病室から眺めた市街地
 退院後しばらくして、さらに病院に近い東亜マンションに事務所を移した。そのマンションが病院の窓からすぐ近くに見下ろすことができる。小生は沖電気工業に入社して2年目に、約1年半に及ぶ最初の海外出張を命じられ、翌年のクリスマスの日に帰国した。そのとき家内が用意して待っていてくれた賃貸アパートは、この病院正面の道路を挟んで反対側の住宅地の中にあった。帰国して半年後、十二指腸潰瘍を患った時約2ヶ月入院したのも、この病院だった。そうした意味では、済生会川口総合病院はなにかと縁のある病院である。

 一般病棟の朝は、6時の点灯と共に始まる。看護師たちが部屋に入ってきて、ベッドを区切っているカーテンを開けてまわり、一人一人に笑顔で声をかけ体調を聞いて回る。まるで白衣の天使が舞い降りて来たようで、室内の空気が一変して晴れやかになる。彼女たちはまず検温、血圧測定、血中酸素濃度などを手際よく調べてまわる。これらの測定は決まった時間に一日数回繰り返される。

 食事は朝の7時、昼の12時、夕方の7時。いずれもベッドまで運んでくれる。同室のある老人は、骨と皮にやせ衰えてとても茶碗を持ち上げる気力などなかった。それでも看護師は食事の度にベットの横に腰掛けてスプーンでヨーグルトなどを口に運んでやっていた。最初はそれすら拒んでいたが、「少しでも食べないと、いつまでも家に帰れませんよ」と、なだめすかされているうちに、自分で箸を運ぶようになった。

一般病棟から見た富士山の日没
一般病棟から見た富士山の日没
 もう一人の患者は重症の糖尿病でベットの上に座りこむか横になっている状態で、下の世話をしてくれる看護師がナースコールをかけてすぐに来ないと、辺り構わず怒鳴り散らしていた。下の世話も大切な看護師の仕事たが、自力歩行できるようにしてやるの望ましい。虫のいどころの悪いのをなだめすかして、何とか二週間でそれを成し遂げた看護師がいる。長野の松本出身の恐ろしく背の高い女性だったが、身長を聞いても教えてくれなかった。ところがある日身長測定で小生の身長が168.7cmだったのを見て、あら、私と同じだわと言った。

 彼女にはたった一人の弟がいて病院近くの保育園に勤めていた。窓際に小生をいざなって保育園を指し示しながら、本当にバカなんだからと言った。どうしたの?と聞くと、保育園の餅つきの催しで臼を落として足を怪我させてしまったそうだ。故郷の松本を出て、弟と一緒に病院の近くに住んでいるのかどうかは知らない。だが、保育園を見下ろすその眼差しから、弟思いの姉であるような印象を受けた。


 午後、ナースステーションの奥にある談話室で、内藤医師が昨日撮影した冠動脈造影画像をモニター画面に映し出しながら、説明してくれた。小生の右冠動脈は21年前の心筋梗塞でその根元の部分が塞がってしまった。今回新たに見つかった狭窄部分は左冠動脈の主幹部、すなわち左回施枝と左前加工枝に分かれる付け根の部分である。医師の説明を受けるまでもなく、モニターに映し出されたその部分は細くしかも白っぽく弱々しい。今詰まってしまってもおかしくない状態だそうだ。そうであれば、小生は直ちに神に召される。

正面から見た埼玉医科大学国際医療センター
正面から見た埼玉医科大学国際医療センター
 したがって可及的速やかに狭窄部が何時詰まってもよいように新たな血液の流路をバイパス手術で作ってやらなければならない。こうした外科的緊急治療のために、この病院は帝京大学、埼玉医大、自治医大、順天堂大学などと提携している。これらの大学病院の中で一番早く患者を受け入れてくれそうなのは、埼玉医科大学国際医療センターのようだ。そのため、医師は何時搬送できるかを速やかに調べてみるとのことだった。

 埼玉医科大学の国際医療センター。Where? 埼玉に長く住んでいながら、そのような医療センターが県内にあったとは知らなかった。医師の話によると、埼玉県日高市山根にある埼玉医科大学付属の病院だそうだ。埼玉県全域を範囲とし、がん・心臓病・脳卒中といった三大成人病に対応する高度専門特殊医療や救命救急医療の提供を目的として日高市山根の山間部を切り開いて平成19年(2007)1月に竣工し、同年4月に開院した病院である。

埼玉医科大学国際医療センター
埼玉医科大学国際医療センター
 包括的がんセンター300床、心臓病センター200床、救命救急センター100床など合計600床で計画されたが、5年間に順調な増床を繰り返し、昨年4月に5周年を迎えた時点では600床をフルオープンした特殊医療施設である。そのため、紹介・予約制を取っている。他院からの紹介状と事前の診察予約が必要だそうだ。

 心臓病センターに関して言えば、心臓内科、心臓血管外科、小児心臓外科、小児心臓科、心臓リハビリテーション科、難治性心不全治療センターに分かれ、心臓手術の実績は県内ではトップ、全国的に見ても既に第三位の実績を誇るという。

 幸い小生の場合、肋骨の内側を走る内胸動脈がそれほど動脈硬化が進んでおらず、それを切り取ってバイパスとして使えるという。場合によっては、足の大伏在静脈なども使われるかもしれない。国際医療センターの心臓血管外科は、順天堂大学や昭和女子医大で多くの実績を積んだ新浪博教授を筆頭に、常時3ユニットを構成できるほど強力な医師スタッフを揃えている。そのため最高技術の冠動脈バイパス術を施してもらえるから小生も安心して良いと、内藤医師は太鼓判を押してくれた。その日の夕方、国際医療センターへの搬送は2日後の12月22日午前11時に決まったとの連絡を受けた。国際医療センターから搬送車で迎えにくるという。

埼玉医科大学国際医療センターのエントランスホール
埼玉医科大学国際医療センターのエントランスホール
 今年の2月18日、東京大学医学部付属病院で平成天皇が冠動脈バイパス手術を受けられた。執刀医は順天堂大学の天野篤医学部教授。以前のバイパス手術は、管を縫い付けやすくするため、心臓の動きをいったん止めて、人工心肺装置を使って行うことがほとんどだったが、その分患者の負担が大きい。そのため最近は人工心肺装置を装着しないでおこなう「オフポンプ術式」が主流になりつつある。この術式は一時的にも心臓を停止させないため、体の負担が少ないとされている。「スタビライザー」という機器を使って施術箇所を挟み込み、心臓の動きを部分的に止めて冠動脈を切開、血流を確保する管をいったん挿入した上で、内胸動脈を縫合する手術方式である。天野教授はこの術式の第一人者である。小生の場合も、天皇と同じ術式でバイパス手術を受けることになる。



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