1月4日

 首や腹に刺されていた管が取れたことで、幾つもの点滴の袋をぶら下げているポールを押しながら集中治療室内の歩行が可能になった。午前中、リハビリセンターから一人の講師が来て、ゆっくりで良いから、少し室内を歩きましょう、と歩行訓練を手助けしてくれた。一週間ベッドの上で寝ていただけで、足の筋肉はかなり衰えたようだ。室内を三周しただけで、左足のふくらはぎに張りを感じた。本日から午前と午後の二回、室内での歩行訓練を行なうことになる。

集中治療室のベッドで考えた事−その1:技術立国日本の終焉

 集中治療室ではベッド毎に設置された2台のノートパソコンと2台のテレビモニターで患者の容態の記録や監視を行っている。ベッド数は14(個室8,大部屋6)だから、パソコンの数だけでも28台に達する。さらに当直医の席にも数台設置されているから、その数は優に30台を越えるはずだ。

 これらのパソコンはNECや富士通などの国産が多い。だが、パソコンの心臓部に組み込まれているのはIntel社のCPUであり、CPU上で動作する基本ソフトはMicrosoft社のWindowsである。日本のコンピュータメーカは集積回路CPUを高額でIntel社から購入し、基本ソフトWindowsにしても高いロイヤリティを払って使わせて貰っている。それだけではない。CPUが組み込まれるマザーボードは台湾製である。したがって自社製品となると、ブランド名を記入したカバーなどの外枠しかない。

 しかもこれらの組み立てすら、OEMで中国や東南アジアの国々に委託している。つまり、汎用コンピュータ以外の世界では、日本のコンピュータ技術は完全に外国勢に牛耳られているのだ。これが現在の日本のコンピュータ業界の実体である。

 かっての日本は技術立国を目指し、さまざまな製品を世界市場に売り出した輝かしい時代があった。安かろう、悪かろうという終戦後の日本製品に対する評価を覆した品々である。画期的なコンセプトと品質の高さで世界が日本製品に憧れた時代だった。ソニーのトランジスタラジオ然り、ナショナルのテレビ然り、トヨタの自動車しかり、ホンダのバイク然り。これらの製品は世界中で売れに売れた。好調なこれらの輸出産業に支えられて日本経済は潤った。東京オリンピックが開催された1960年代のことである。

 ひるがえって現在の日本の技術力はどうか。テレビ業界は韓国企業に押されっぱなしで製造を中止した企業もある。自動車業界も韓国や中国の廉価な製品に押されて売れ行きに陰りがある。最先端技術として注目を集めたシャープのソーラーパネルも、現在は外国企業の後塵を拝している。

 何故こうなったのか。その理由の一端をビデオのベータvsVHF戦争や大容量レコーダーのブルーレイvsDVDの仁義なき戦いに見ることができる。かってビデオテープの録画方式を巡ってソニーのベータ方式とその他のメーカのVHF方式の和解が成立せず、ユーザを巻き込んだ実に無意味な市場獲得の争いが繰り広げられた。最終的にはソニー側が敗れてベータ方式を諦めVHF方式に一本化されrたが、ベータ方式のビデオを買ったユーザは結局泣きを見ることになった。

本来、敵対すべきは外国企業との国際規格策定争いに打ち勝って、我が国の規格を海外に売り込むべきだった。それを忘れて狭い国内市場でライバル会社を蹴落とすことに終始した企業争いは、傍目にも見苦しい。しかも、それでも懲りず今度は大容量の記憶媒体であるDVDレコーダでソニーのブルーレイ方式と東芝陣営のHD-DVD方式が対立し、今度はソニー側が勝ち東芝陣営はDVD方式を諦めた。

 韓国のサムスン電子(Samsung)やLGグループが液晶テレビや白物家電で日本企業を駆逐して大きく世界市場に進出してきた背景には、特定企業を支援する国策があったとされている。実際には、そのあおりを他の国内企業が被って企業格差が拡大したと言われるが、今やSamsungの名は大型液晶テレビの代名詞となっている。小生は一時期Samsungの小型液晶テレビを買ったが、音質の調整がうまく行えず大した製品ではないと思っていた。しかし、国の財政支援をバックにあれだけ宣伝費をかけられれば、今や購入の選択肢から外す訳にはいかない。

 技術立国日本の終焉の時期を迎えて、今後取るべき道は5年後、10年後の近未来を見据えて、各企業の技術力を総結集した新製品の開発だろう。日本勢は再び艦隊を組んで大海原に乗り出す気概がなければ、海の藻屑ご消えることは自明だ。そのためには政府の強力な支援が新製品開発に不可欠であることは論をまたない。

 技術に関して、小生が経験した面白いエピソードを以下に紹介しておこう。

 小生が最初に海外出張したのはサンタクルスという南米ボリビアの第二の都市だった。その町の電話設備拡張工事で、いくつかの面白い場面に遭遇した。工事には何名かの工事会社の技術者を連れて行ったが、彼らの仕事ぶりを見て客先の技術者が小生に聞いてきた。
「Mr.オウセイ、彼らは本当にエンジニアなのか?」
日本人はラテンアメリカの社会では比較的若く見られる。たとえば、小生は若い頃からいささか老けた風貌をしていたが、それでも20歳くらいにしか見られなかった。そのため、連れて行った技術者たちも高校生くらいにしか見られず、このような質問を受けたものと思った。念のため理由を聞いてみると意外だった。
「彼らは道具を手にして架の組み立てや付け線作業を器用にこなしていいる。だが、こちらではそうした仕事はテクニシャンクラスの人間がやることで、エンジニアは指示はするけど手は出さない」

 なるほどと思った。ラテンアメリカ社会ではエンジニアの社会的地位は医師や弁護士と並んで高い。図面やマニュアルを見ながら指示を出すが、自分で工具を持って作業するようなことは決してしない。そのため、いろんな弊害も出てくる。日本では、設備の保守マニュアルなどは誰でも見られる場所に置いてあり、必要に応じて参照できるシステムになっている。ところが、ボリビアでは折角納入した保守マニュアルが技術課長のキャビネットにしまい込み施錠されてしまっている。実際の保守に従事しているテクニシャンがマニュアルを見れないのだ。
「これでは、誰もが見たいとき見れないので困るではないか」
と言うと、彼はこう答えた。
「それで良い。彼らは私の指示通りに動けばよいのであって、技術内容をしっかり把握しておくのは私一人で十分だ」

 こんなこともあった。工事事務所で雇っていたオペレータの作業中にタイプライタのリボンが切れた。オペレータが自分でリボンを取り替え作業を続けるものと思っていたが、何もしないで平然としている。何故自分でリボンを取り替えないのかと聞くと、その返事がふるっていた。
「リボンの取り替えは私の仕事ではなく、Aの仕事です。勝手に取り替えると、Aの職務を冒すことになります」
どうやら完全な分業社会のようだ。このようなシステムを採用している限り社会や技術の発展は期待できない。

 小生は1970年2月から8月までペルー陸軍の通信隊で納入したテレックス端末OKITYPER-4500の訓練講師として席を置いていた。ある日のこと、技術責任者のサンチェス少佐に声をかけられた。
「インへニエロ(=エンジニア)オウセイ、ちょっと来てくれ。見せたいものがある」
通信隊では、小生はなぜかエンジニアで通っていた。何事かと思って彼の後をついて行くと、修理室に案内された。そこには沖電気が納入したテレックス端末装置とドイツのシーメンス製の製品が並べておかれていた。
「分解のためネジを緩めてくれ」
と、サンチェス少佐は言った。請われるままにドライバを手にしてしたが、沖電気の製品のネジはビクとも動かない。製造時エアで締め付けてあるためだ。ちょっとした力では緩めることができないが、力を加えるとネジの山が崩れた。

 ネジ山がかけるのを確認して、サンチェス少佐はシーメンスの装置を指さした。
「今度はこの装置のネジを緩めててくれ」
見ると、シーメンスの装置にはネジにワッシャが付いていない。それでもネジは固く締め付けられていたが、ドライバに力を入れることでネジ山を欠くことなく抜くことができた。
「今度はそのネジを締めてみてくれ」
少佐の指示通りにいくら強く締め付けても、そのネジの山はかけることはなかった。それを言うと、少佐わ笑った。そして、
「これが日本とドイツの製鉄技術の差だろうな。だから俺はベンツにしか乗らない。日本車はボンネットをげんこつで叩いただけでへこんでしまうが、ドイツ車はビクともしない」 と自慢した。



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