1月7日

集中治療室を出て一般病棟へ移る

 朝の集団回診のとき、執刀医の新浪教授がパソコン上のデータを見、さらに看護師の話を聞いた後、珍しくベッドに近寄りこう言った。
「貴方の心臓は弱っていたので快復が心配でしたが、順調だったようですね。本日から一般病棟へ移って貰います」
先月の27日にバイパス手術を受けて11日目にして、ようやく集中治療室を出ることになった。

 一般病棟は4階から6階まであるが、移されたのは集中治療室と同じ4階の病棟だった。開閉ドアの向こうが一般病棟で、昼過ぎに歩いて移った。ただベッドは一番集中治療室に近い部屋に置かれていた。何かあったとき、すぐに集中治療費室に戻すための配慮かと思われる。

 夕方になって、搬送されてきた時と同じ部屋に移された。驚いたことに、A氏がまだ退院せずに闘病生活を続けていた。小生より10日も早くオペを受けたのだから、とっくに退院されたものと思い込んでいたが、縫い合わせた胸の創からしみ出る体液が止まらず、再度縫い直したとのことだ。

 本日から本格的なリハビリのメニューに従って、弱り切った体力の回復を行なう。思い返してみれば、先月8日に済生会川口総合病院に入院してから、ほぼ一ヶ月近くベッドの上で生活してきたことになる。さらに病院食は一日1600キロカロリーに制限されている。体力が衰えて当たり前だ。

 リハビリセンターはC棟3階にある。インストラクタが迎えに来たので、彼女について行くと、かなり大勢の患者がリハビリに励んでいた。心臓病患者だけでなく、癌患者も多いようだ。リハビリの最初のメニューは自転車こぎ。13Wの負荷で15分ペダルを踏んだ。入院前は県立健康福祉村のスポーツセンターに通って、ジムで様々な有酸素運動を続けてきた。そのためか、15分の自転車こぎくらいでは、血圧も上がらなかった。

集中治療室のベッドで考えた事−その3:昨今のテレビ業界のテイタラクぶり

 どの病院でも同じだろうが、一般病棟のベッドの脇に小型テレビが置かれている。患者はあらかじめ購入したプリペードカードを挿入し、音声が他の患者の迷惑にならないようにイヤホンを耳に当てて番組を楽しんでいる。いや、楽しんでいるという言い方は正しくないかもしれない。他に見たい番組がないため、仕方なしに下らない番組を画面上で眺めているにすぎない。

 小生も退屈な時間つぶしに、同じスタイルでテレビをかけている。だが、見るのはNHKのニュース番組と特番程度で、一日2時間が限度だ。民放はほとんど見ない。その劣悪な番組の内容は、金を払って視聴するに値するものなどない。

 以前は、民放のテレビ番組でも、○○提供と名乗って一時間番組を放映することがあった。最近では、この不況のご時世で一社で番組のスポンサーになるほど潤沢な資金はない。そのため、テレビ会社も小口のスポンサーを何社も募って番組を制作しなければならない。その結果、番組の途中でどんどんコマーシャルを入れて、まるでコマーシャル番組の中にプログラムが分断されて放映されている状況だ。プログラムの内容の連続性などズタズタに切り裂かれて、面白くもなんともない。

 一方、バラエテイ番組となると、吉本興業の芸も何もない三流のお笑いタレント総出演といった感じだ。そうしたタレントが何人か集まってワイワイガヤガヤやっているだけで、本人たちは悦に入っているが、視聴者から見れば、面白くもなんともない。

 このような低俗番組の中で、大抵の視聴者にはほとんど興味も関係もないコマーシャル映像を垂れ流しているテレビ局のディレクタの神経を疑りたくなる。地上波より輪をかけてひどいのは民放の衛生放送だ。眠れなくて深夜に衛星放送のチャンネルを回すと、コマーシャル映像が延々と明け方まで続く。しかも健康器具やサプリメントの宣伝をこれでもかこれでもかと繰り返す。

 最近のテレビでは薬やサプリメント、健康器具などのコマーシャルがやたらと多い。そうしたコマーシャルでは、活動の場を失った往年の俳優や女優をとっかえひっかえ使って、視聴者の気を引こうとしているものが多い。そうした俳優の出演料は全て製品の価格に上乗せしてあるはずで、そのような製品の効果などほとんどないであろう。宣伝されている効果が実際にあるのかどうか厚生省あたりに一度調査させて見るがよい。ほとんどは、規制ぎりぎりの誇大広告にちがいない。

 民法のテレビ番組は今やそうした企業製品の宣伝媒体と化している。まともな番組の制作に取り組もうとする姿勢が見られない。その最たる例が推理物などの過去の人気番組の再放送、再々放送だ。テレビ会社は過去に制作した膨大なアーカイブファイルを有している。それを最大限に利用して何が悪いのかとの言い分があるかもしれない。だが、忘れて貰っては困る。テレビ各社に衛星放送の電波が割り当てられたとき、地上波では見られない画像のきれいな優良番組の制作・放映を条件とされたはずだ。

 このような低俗番組を一日24時間垂れ流すのは、国民の有効な資源ともいうべき電波が特定のテレビ会社数社に独占され、無駄遣いされているとしか思えない。いつまでこうした無政府状態を放っておくのかと、実に腹立たしくなる。一日24時間の放送は一億国民総白痴化に拍車をかけているばかりでなく、その影響は他にもでている。

 3.11の東北大地震の結果、福島の原発が止まり首都圏の電力不足を生み、計画停電で市民は多大な影響を受けた。大飯原発の停止で関西地方でも節電が叫ばれた。それにもかかわらず、テレビ放映の自粛を訴える声は聞かれなかった。家庭での一日の電気使用量のうちテレビの消費電力はそれなりの比率を占めているはずだ。

 それならば、朝は3時間程度、昼は2時間程度、夜は5時間程度の放映で打ち切らせる英断が政府にあってもよいのではないか。そうすることで、一億総白痴化を絵に描いたようなテレビ番組から国民は解放される。現在、若者のテレビ離れが進んでいるらしい。今こそテレビ業界自身が抜本的な改革を実施しなければ、早晩国民のテレビ離れは加速するものと知らなければならない。

 テレビと同様、広告宣伝に紙面の大半を費やす新聞業界も同じ穴のムジナである。今や健康食品やサプリメントの一面広告が多くのページを占めている。中には、健康に関するまともな記事だと思って読んでいくと、それが某社の宣伝記事だったりして、宣伝技術も巧妙化 している。40ページ近い各新聞の紙面からこうした宣伝記事を削除したら、実質半分のページでも十分新聞としての使命は果たせるのではないか。

 小生は読まなくても良いこうした記事が累々と続く新聞の購読を2年前に打ち切った。わざわざ月額4000円の購読料をはらってまで見たくもない広告に惑わされようとは思わない。さらに、今やインターネット社会である。新聞が無くても、必要な情報はインターネット上で簡単に、しかもほとんど無料で検索して読むことができる。

 新聞各社も愚かである。購読数の伸び悩みの対策として、最近普及してきたアイフォンなどのディスプレイ上で紙面そのものが見られるような配信を普及させている。だが、アイフォン上でユーザが読みたい、知りたい情報は紙面そのものではない。小さな画面上で紙面を拡大ししたりスクロールしたりするのはそれなりにストレスがかかる操作である。ユーザが欲しているのは、新聞で見られるそのような記事ではなく、別の視点からの解説や分析、および関連記事へのアクセスである。



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