古事記(こじき)』が伝える神話 

天地のはじめ

くの民族神話がそうであるように、『古事記』も天地開闢から神代の物語を始めている。天と地とが初めて分かれたとき、高天原(たかまがはら、天上界)に先ず三柱の単独神が出現した。アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)、タカミムスビノカミ(高御産巣日神)、そしてカムムスビノカミ(神産巣日神)である。アメノミナカヌシは、天の中央にあって、天地を主催する神であり、タカミムスビとカムムスビはいずれも万物の生産・生成を掌(つかさど)る神であるが、前者は高天原系(皇室系)、後者は出雲系の神とされている。

いで、国土がまだ若くて固まらず、水に浮いた油のような状態のとき、葦の芽が泥沼から萌えいずる力が神となり、さらに天の永遠性を神格化したアメノトコタチノカミ(天之常立神)が出現した。その後も、大地が次第に整うまでにクニノトコタチノカミ(国之常立神)をはじめとして様々な神々が生じ、最後にイザナギノカミ(伊邪那岐神)と女神のイザナミノカミ(伊邪那美神)が出現した。クニノトコタチノカミからイザナミノカミまでを合わせて神代七代という。


伊邪那岐神(イザナギノカミ)伊邪那美神(イザナミノカミ)

 オノゴロ島

つ神一同は、イザナギ・イザナミの二神に対して、「この漂っている国土をよく整えて作り固めよ」と仰せになり、神聖な矛を授けられた。そこで、イザナギ・イザナミの二神は天地の間にかかった梯子の上に立って、矛先で潮をごろごろとかき回した。矛を引き上げると、その先から潮水がしたたり落ち、積もって島となった。これをオノゴロ島という。

神はオノゴロ島に天下り、神聖な柱を立て、広い御殿を建てた。そして、神聖な柱を回り、出会ったところで結婚することにした。イザナギは左から回り、イザナミは右から回って、二神が出会うと、イザナミが先ず「ああ、なんとすばらしい男性でしょう」と言い、その後にイザナギは「ああ、なんとすばらしい少女だろう」と言った。その場所で結婚して、イザナミは不具の子・水蛙子(ひるこ)を生んだ。この子は葦船に乗せて流して捨てた。次に、淡島を生んだ。この生み損じた島も御子の数には入れなかった。

 国生み

分たちが生んだ子が不吉だったので、二神は高天原に上って、天つ神にその理由を尋ねた。天つ神は、「女が先に言葉を発したので良くなかった。帰り降って、改めて言い直すように」と諭した。二神はオノゴロ島に戻るとまた前回と同じようにに天の御柱を回り、こんどはイザナギが「ああ、なんと可愛い少女だろう」と先に声をかけ、イザナミが「ああ、なんとすばらしい男性でしょう」と答えた。

のように言い終わって結婚して最初に生まれた子が淡路島である。次に、身体は一つで顔が4つある四国を生んだ。次に三つ子の隠岐島を生んだ。次に築紫島(九州)を生んだ。次に壱岐を生んだ。次に対馬を生んだ。次に佐渡島を生んだ。次に大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)を生んだ。我が国を大八島国(おおやしまのくに)というのは、これらの8つの島を先に生んだためである。

八島を生んで帰られるとき、吉備児島を生んだ。次に小豆島を生んだ。次に大島を生んだ。次に女島を生んだ。次に知訶島(ちかのしま)を生んだ、次に両児島(ふたごのしま)を生んだ。

 神生み

を生み終えて、イザナギ・イザナミの二神はさらに神々を生み出した。オオコトオシヲノカミ(大事忍男神)を筆頭に、ヒノカグツチノカミ(火之迦具土神)まで多くの神々を生んだ。しかし、ヒノカグツチノカミを生んだとき陰部が焼けて病に伏し、ついに亡くなってしまった。イザナミが生んだ神々の総数は35柱である。

ザナギは亡くなった愛妻のイザナミを、出雲国と伯耆国との境にある比婆(ひば)の山に葬った。その後、十拳剣(とつかつるぎ)を抜いてカグツチノカミの首を斬った。すると、剣の先や剣の本、柄に付いた血から8柱の神が生まれた。その中には、後に国譲りで活躍するてタケミカヅチノヲノカミ(建御雷之男神)がいる。

 黄泉(よみ)の国

ザナギは女神のイザナミに会いたいと思い、後を追って黄泉国(よみのくに)へ行った。出迎えたイザナミに対して、イザナギは「愛しい妻よ、二人で作った国はまだ作り終わっていない。だから現世に戻ってほしい」と懇願した。しかし、イザナミは「私はすでに黄泉国の食物を食べてしまいました。しかし、愛しい夫が訪ねてきてくれたので、黄泉国の神に相談してみましょう。その間、私の姿を見てはなりません」と答えた。

く待たされたイザナギは、ついに待ちきれなくなって髪に挿していた爪櫛の太い歯を一本折って、それに火をともして御殿の中に入った。すると、女神の身体にはウジがたかり、ゴロゴロ鳴って頭や胸などから8種の雷神が出現していた。イザナギは驚き恐れて逃げ帰ると、イザナミは「よくも恥をかかせてくれた」と、ただちに黄泉国の醜女(しこめ)に追いかけさせた。イザナギは髪につけていた黒い鬘(かずら)を取って投げ捨てると、それがヤマブドウの実に変わった。また、爪櫛の歯を折って投げると、タケノコが生えた。醜女たちがそれを食べている間に、イザナギは逃げ延びた。

らに、8種の雷神が1500人もの黄泉国の軍勢を従えて追跡してきた。イザナギは十拳剣(とつかつるぎ)をうしろ手に振りながら逃げた。現世と黄泉国との境の黄泉比良坂(よもつひらさか)のふもとまで逃げのびて来たとき、そこの木になっていた桃の実を3つとって投げつけた。それで、黄泉国の軍勢はことごとく退散した。

後に、妻だったイザナミ自身が追いかけてきた。イザナギは千引(ちびき)の岩を黄泉比良坂に引き据えた。その岩を間に挟んで二神は離別の言葉を交わした。イザナミは「あなたがこんなことをなさるなら、私はあなたの国の人間を一日に千人絞め殺そう」と言った。イザナギは、「お前がそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てよう」と答えた。黄泉比良坂は今の出雲国の伊賦夜坂(いうやさか)という坂である。

 禊ぎ祓いと三貴子

らわしい国へ行ってきたため、イザナギは身体を清め禊ぎをすることにした。そして、筑紫の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あわきはら)に出向いて禊ぎ祓えを行なった。先ず身につけていたものを次々と脱ぎ捨てると、全部で十二柱の神々が生じた。

いで、流れの速い中流の瀬に場所を移し、水に潜って身の穢れを洗い清めると、また様々な神が生まれた。このとき、安曇連らが祖先神としてあがめ祭っている三柱のワタツミの神も生まれた。

らに、左の眼を洗うとアマテラスオオミカミ(天照大御神)が生まれた。右の眼をあらうとツクヨミノミコト(月読命)が生まれた。鼻を洗うとタケハヤスサノヲノミコト(建速須佐之男命)が生まれた。

ザナギは最後に三柱の貴い子を得たことを大いに喜び、首飾りの玉の緒をアマテラスに渡して、高天原の統治を委任した。同様に、ツクヨミには夜の世界を、スサノヲには海原をそれぞれ治めるように言い渡した。



天照大御神(アマテラスオオミカミ)須佐之男命(スサノヲノミコト)

 スサノヲの神やらい

原の統治を命ぜられたスサノヲは、任された国を治めず長い間泣きわめいていた。イザナギがその理由を訊ねると、スサノヲは「亡き母のいる根の堅州国(ねのかたすくに)へ行きたいためです」と答えた。それを聞いてイザナギはひどく立腹して、スサノヲの神やらい、すなわち高天原からの追放を命じた。

放を命じられたスサノヲは、姉のアマテラスに事情を説明してから根の国に赴くことにした。彼が高天原に上っていくとき、山川がことごとく鳴動し、国土がすべて振動した。それを聞いたアマテラスは弟が国を奪おうとしてやってきたに違いないと思い、武装して待ち受けた。

 二神の誓約(うけひ)生み

ぶるスサノヲが高天原にやってくると、アマテラスは「なぜ上ってきたのだ」と問い、スサノヲは「特に邪心があってのことではない。亡き母のいる根の国へゆく前に、父から神やらいを受けた事情を説明しておきたいからだ。謀反の心など抱いていない」と答えた。

こで、アマテラスは「お前の心の潔白を、どのように知ることができるのか」と問いただした。それに答えて、スサノヲは「それぞれ誓約(うけい)をして子を産もう」と提案した。こうして二神は天の安河を中に挟んで誓約をした。

マテラスはスサノヲが帯びている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取ると、これを三つに折り、玉の緒が揺れて玉が音を立てるほど天の真名井の水を振り濯いだ。その後これをかみ砕き息を吐き出すと、その息の霧からタキリヒメノミコト(多紀理毘売命)をはじめとして三柱の女神が生まれた。現在の宗像神社の祭神たちである。

サノヲはアマテラスの髪や右手と左手に巻いた玉の緒を受け取り、これを噛みに噛んではき出すと、その息の霧から出雲国造の祖神であるアマツヒコネノカミ(天津日子根命)など5柱の男神が生まれた。

 天の岩屋戸

分の物実(ものざね)から女神が生まれたことで、心の潔白が証明され誓約に勝ったとして、スサノヲは高天原で好き勝手に狼藉を働いた。アマテラスが耕作する田の畔を壊し、田に水を引く溝を埋め、新嘗祭(にいなめさい)で新穀を召す神殿を糞で汚した。このような乱暴に対して、アマテラスは弟をかばった。だが、まだら毛の馬の皮を逆さに剥ぎ取って、それを機屋(はたや)の棟の穴から投げ込み、それが原因で機織女が驚いて死亡するに及んで、ついにアマテラスは恐れて天の岩屋に籠もってしまった。

のため高天原がすっかり暗くなり、葦原中国もすべて暗闇となった。さらにあらゆる邪神が騒ぎ、あらゆる禍が一斉に発生した。このような状態に対処するため、八百万の神が天の安原に会合した。そして、中臣氏の祖神アメノコヤネノミコト(天児屋命)が太御幣(ふとみてぐら)を取り持ち、忌部氏の祖神フトダマノミコト(布刀玉命)が太祝詞言(ふとののりごと)を唱え、猿女君の祖神アメノウズメノミコト(天宇受売命)が神がかりして胸乳をかき出し裳紐まで押し上げて踊った。

の踊りを見て、八百万の神々はドッと笑った。アマテラスは「天上界は暗闇なのに、なぜアメノウズメが舞楽し、八百万の神々が笑っているのか」と不審に思って、天の岩屋戸を細めに開けて外をのぞいた。そのとき、戸の傍らに隠れていたアメノタヂカラノミコト(天手力男神)が、アマテラスを手を取って外に引き出した。こうして、高天原も葦原中国も自然に太陽が照り明るくなった。八百万の神々は一同相談して、スサノヲに多くの贖罪の品を科し、髭と手足の爪を切り祓を科して高天原から追放してしまった。

 オオゲツヒメノカミ(大気都比売神)

サノヲが食べ物をオオゲツヒメノカミ(大気都比売神)を求めたとき、オオゲツヒメは鼻や口、尻から様々な食物を取り出して調理した。それを見ていたスサノヲは食物を汚して差し出そうとしてしていると勘違いして、殺してしまった。

されたオオゲツヒメの体からは、蚕や稲の種、粟、小豆、麦、大豆が生まれた。そこで、生成の母神であるカムムスビノカミ(神産巣日神)は、これらを取らせて五穀の種とされた。

 八岐(やまた)の大蛇(おろち)退治

天原を追放されたスサノヲは、出雲国の肥河(島根県の斐伊川)の川上の鳥髪(仁多郡の船通山のふもと)というところに天下った。このとき、箸が川を流れてきた。スサノヲは川上に人里があると思い上流に向かうと、少女を間に置いて老夫婦が泣いていた。

由を尋ねると、老夫婦には8人の娘がいたが、高志(こし)の八岐の大蛇が毎年襲ってきて娘を食ってきた、今年もその時期が来て、最後の娘のクシナダヒメ(櫛名田比売)が食われてしまうので泣き悲しんでいるのだという。そこで、スサノヲはクシナダヒメを妻として貰い受けることを条件に、八岐大蛇を退治してやることを約束する。

夫婦に命じて、濃い酒を満たした酒桶を8つ作らせ、それを8つの門に置いて待機していると、はたして八岐の大蛇が現れた。大蛇はただちにそれぞれの酒桶に頭を入れて酒を飲み干し、酔っぱらってその場に寝てしまった。スサノヲは十拳剣(とつかのつるぎ)で大蛇をズタズタに切り裂いた。中ほどの尾を切ったとき、剣の刃がこぼれた。不思議に思ってその尾を裂いてみると、すばらしい太刀が出てきた。それが草薙剣(くさなぎのつるぎ)であり、スサノヲはこの霊剣をアマテラスに献じた。

うして八岐の大蛇を退治したスサノヲは、新居の宮を造るべき土地を出雲で探した。そして、須賀の地(現在の大原郡大東町須賀の地)が気に入り、そこに新居を構えた。そのとき、その土地から盛んに雲が立ち上ったので、次の歌を詠んだ。
    八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

 スサノヲの神裔

サノヲがクシナダヒメと夫婦になって、はじめて生まれた子をヤシマジヌミノカミ(八島士奴美神)という。その神の五世の孫としてオオクニヌシノカミ(大国主神)が生まれた。オオクニヌシは、オオクニヌシノカミ(大穴牟遅神)、アシハラシコヲノカミ(葦原色許男神)、ヤチホコノカミ(八千矛神)、ウツシクニタマノカミ(宇都志国玉神)とも呼ばれた。



大国主神(オオクニヌシノカミ)

 因幡の白兎

オクニヌシノカミ、大国主神)の兄弟には、八十神(やそかみ)すなわち多くの神々がおられた。あるとき、八十神たちが因幡のヤガミヒメ(八上比売)に求婚するために、オオクニヌシに袋を負わせ従者として連れて行った。

多の岬(因幡国気多郡の海岸)まで来たとき、丸裸になった兎が横たわっていた。それを見た八十神は「その体を治すには、潮水を浴び、風に当たって高い山の頂に寝ておれ」と教えた。その通りにすると、兎の皮膚がひび割れ、兎はその痛みに苦しんで泣き伏した。そこへ、八十神の最後に付き従っていたオオクニヌシが通りかかった。

因幡の白兎主
因幡の白兎を救ったオオクニヌシ
オクニヌシが兎に泣いている訳を聞くと、兎は海にいるワニを騙して隠岐の島からこちらに渡ってきたが、最後のところで騙したことが発覚しワニに丸裸にされたことを話し、八十神に教わった方法で治療したら、全身傷だらけになってしまったと打ち明けた。

こで、オオクニヌシは、真水で体を洗い蒲の花粉をまき散らしてその上に寝ていれば元の肌に戻ることを、兎に教えた。兎がその通りにすると、体は元通りになった。そこで、兎は「ヤガミヒメを娶ることができるのは、あなた様でしょう」と予言した。

 八十神の迫害

婚されたヤガミヒメは八十神たちに答えて「私はあなた方の言うことは聞きません。オオクニヌシと結婚します」と言った。それを聞いた八十神は怒って、相談の上オオクニヌシを殺すことにした。

ず、赤猪を山の上から追い落とすから、下で待ち受けて捕らえよと命じて、猪に似た大石を焼いて転がし落とした。この石を受け止めたオオクニヌシは焼かれて死んでしまった。しかし、母神が高天原に上って、蘇生させることを請うた。そこで、二人の神がオオクニヌシの蘇生治療にあたり、オオクニヌシを生き返らせた。

十神は今度は、オオクニヌシを騙して山に連れ込み、大木の割れ目の間に入らせ、木に打ち込まれていたクサビを引き抜いて殺してしまった。母神がオオクニヌシを探しに来て、その木を裂いてオオクニヌシを取り出し復活させた。そして、このままでは八十神に滅ぼされてしまうから、紀伊のオオヤヒコノカミ(大屋毘古神)のもとに遣わすことにした。八十神が弓矢を持って追いかけてきたので、オオヤヒコノカミは、スサノヲのいる根の堅州国(ねのかたすくに)へ向かうことを勧めた。

 根の国訪問

オクニヌシが根の国にやってくると、スサノヲの娘のスセリヒメ(須勢理毘売)は彼に一目惚れし、たいそう立派な神がおいでになったと父神に告げた。スサノヲは一目見て、「これはアシハラシコヲノカミ(葦原色許男神)だ」といい、直ちに蛇のいる部屋に寝させた。しかし、その前にスセリヒメが蛇の害を祓う領巾(ひれ)を渡していたので蛇の害にあうことはなかった。

日の夜はムカデと蜂のいる部屋に寝かされた。このときもスセリヒメがムカデと蜂の害を祓う領巾(ひれ)を渡していたので、無事にその部屋から出ることができた。すると、今度はスサノヲは鏑矢(かぶらや)を野原に射込んで、それを拾いに行かせ、野原に火を放った。オオクニヌシは逃げ場が分からず困っていると、ネズミが出てきて、穴に隠れ潜んでいれば火をやり過ごすことができると教えてくれた。

サノヲは、今度はオオクニヌシを大室屋に呼び入れて、頭のシラミを取ることを命じた。スセリヒメが椋(むく)の実と赤土を渡してくれたので、オオクニヌシは椋の実をかみ砕き、赤土を口に含んで吐き出して、あたかもシラミをかみ砕いて唾を吐き出しているように思わせた。スサノヲは可愛い奴だと思って、そのまま眠ってしまった。

オクニヌシは、眠っているスサノヲの神を室屋の垂木に結びつけると、スセリヒメを背負い、宝物の生太刀(いくたち)・生弓矢(いくゆみや)・天の詔琴(のりこと)を携えて逃げ出した。天の詔琴が樹に触れて大きな音を立てたので、スサノヲが目を覚ました。

サノヲは黄泉比良坂(よもつひらっさか)まで追いかけて来て、オオクニヌシの姿を遠くに見かけると、「生太刀と生弓矢で腹違いの兄弟たちを追い払って、お前は大国主神となれ。そして、娘のスセリヒメを正妻として、宇迦の山のふもとに太い宮柱を建て天高くそびえる宮殿に住め」と言った。そこで、スサノヲの指示のままにオオクニヌシは兄弟の八十神を追い払い、国造りを始めた。

 八千矛神の妻問い

チホコノカミ(八千矛神=大国主神)が、越国(こしのくに)のヌナカワヒメ(沼河比売)に求婚するためにでかけた。そして、ヌナカワヒメの家に着いて、歌を詠まれた。そのとき、ヌナカワヒメは戸を開けないで、家の中から返事を歌で返した。その日は二人は会わないで、翌日の夜に会った。二人がやり取りした歌を神語歌(かむがたりうた)という。

妻のスセリヒメ(須勢理毘売)は非常に嫉妬深い神だった。そのため、ヤチホコノカミは当惑して出雲国から大和国へ上ろうとした。旅支度をして出発しようとしていたヤチホコノカミは、馬の鞍に手をかけ、鐙に片足を踏み入れながら歌を詠んだ。すると、スセリヒメは大杯を取って夫のそばに立ち寄り、杯を捧げて返歌を詠んだ。そして二人は杯を交わして夫婦の契りを固め、以後は現在に至るまで睦まじく鎮座しておられる。

 大国主神の神裔

オクニヌシ(大国主神)は、宗像の沖つ宮に鎮座しているタキリヒメ(多紀理毘売)を妻として、賀茂の大神となられたアヂスキタカヒコネノミコト(味耜高彦根命)と妹のタカヒメ(高比売)を生んだ。

た、カムヤタテヒメ(神屋楯比売)を妻として、コトシロヌシノカミ(事代主神)を生んだ。さらに、ヤシマムジノカミ(八島牟遅能神)の娘のトリミミノカミ(鳥耳神)を妻として、トリナルミノカミ(鳥鳴海神)を生んだ。

 スクナヒコナノカミ(少名毘古那神)と御諸山(みもろやま)の神

オクニヌシが美保の岬にいるとき、羅摩(かがみ)の実の船に乗って近づいて来る小人神があった。スクナヒコナノカミ(少名毘古那神)である。御祖神のカムムスビノカミ(神産巣日神)に訊ねると「スクナヒコナは私の手の指の間から漏れこぼれた子である。オオクニヌシと兄弟となって、その国を作りなさいと命じてある」とのことだった。そこで、オオクニヌシとスクナヒコナの二神は協力して、この国を作り固めた。

大国主
波頭の幸魂・奇魂を拝するオオクニヌシ
の後、スクナヒコナは海原の彼方の常世国(とこよのくに)へ帰っていった。そこで、オオクニヌシが心配して「私一人でどうしてこの国を作り固めることができようか。どの神が私に協力してくれるのだろうか」とたずねられた。すると、海上を照らして近寄ってくる神があった。

の神は、「丁重に私の御魂を祭るならば、あなたに協力して共に国作りを完成させよう」と言った。どこに御霊を祭ったらよいのかたずねると、大和の三輪山に祭ることを要求した。これが三輪山に鎮座している神(*)である。
(*) 『日本書紀』では、三輪山の神はオオクニヌシの幸魂・奇魂(さきたま・くしみたま)であると伝えている。

 オオトシノカミ(大年神)の神裔

オトシノカミ(大年神、スサオノヲと神大市比売の間に生まれた)が、カムイクスビノカミ(神活須毘神)の娘イノヒメ(伊怒比売)を娶って五柱の神を生んだ。その他にもカヨヒメアメチカルミヅヒメを娶って多くの神を生んだ。その数はオオクニミタマノカミ(大国御魂神)からツチノミオヤノカミ(土之御祖神)まで、合わせて十六神である。

の中には、日枝神社の祭神・オオヤマクイ(大山咋)神や松尾神社の祭神・火雷神がいる。



葦原中国(あしはらのなかつくに)の平定

アメノホヒノカミ(天菩比神)とアメノワカヒコ(天若日子)

マテラス(天照大神)は、「葦原中国は我が子のアメノオシホミミ(天忍穂耳)が統治すべき国である」と言われ、その統治を委任されて高天原から降された。だが、アメノオシホミミが降る途中で天の浮き橋に立って下界を見ると、ひどく騒々しい。そこで、高天原に戻ってアマテラスに指図を仰がれた。

カミムシビノカミ(高御産巣日神)とアマテラスの命令で、天の安河に天つ神がすべて招集され、暴威をふるう乱暴な国つ神が大勢いる葦原中国をどのように平定すべきかを議論させた。相談の結果、アメノホヒノカミ(天菩比神)を派遣するのが良いだろうということになり、この神を派遣した。ところが、アメノホヒノカミはオオクニヌシに媚びへつらって三年たっても復命しなかった。

こで、タカミムシビノカミとアマテラスが次に遣わすものを神々に訊ねたところ、オモヒカネノカミ(思金神)がアメノワカヒコ(天若日子)を遣わすのが良いと答えた。そこで、天の真鹿児弓(まかこゆみ)と天の羽羽矢(ははや)を授けて、アメノワカヒコを葦原中国に遣わした。ところが、この神はオオクニヌシの娘のシタテルヒメ(下照比売)を娶って、葦原中国を我が物にしようと企んで、八年たっても復命しなかった。

カミムシビノカミとアマテラスは、アメノワカヒコが久しく逗留して復命しない理由を調べるためにどの神を派遣すべきかを大勢の神々に諮問された。その結果、雉の鳴女(なきめ)を遣わすことになった。鳴女は高天原から舞い降りアメノワカヒコの家の前の桂の木に止まって、天つ神の言葉を伝えた。

の鳴く声が不吉だったので、アメノワカヒコは天の真鹿児弓と天の羽羽矢で雉を射殺してしまった。雉の胸を貫いて羽羽矢は天の安河にいるタカミムシビノカミとアマテラスの前まで飛んできた。タカミムシビノカミはその矢を抜いて、「もしアメノワカヒコが邪心を抱いているなら、この矢に当たって死ね」と下に向けて突き返した。矢は朝の床にいたアメノワカヒコの胸に命中し、この神は死んでしまった。

 アヂシキタカヒコネノカミ(阿遅志貴高日子根神)

メノワカヒコの死を悼む妻のシタテルヒメの鳴き声が、風に吹かれて天上まで届いた。そこで、アメノワカヒコの父・アマツクニタマノカミ(天津国玉神)やその妻子が、その泣き声を聞いて天上から降ってきて喪屋を作り、川雁などの鳥たちに葬儀の役目を任じて、八日八夜の間歌舞して死者を弔った。

のとき、アヂシキタカヒコネノカミ(阿遅志貴高日子根神)が弔問にやってきた。この神の風貌はアメノワカヒコによく似ていた。そのため、アメノワカヒコが生きていてよかったと、一同はアヂシキタカヒコネノカミの手足に取りすがって喜んだ。死んだアメノワカヒコに間違えられて神は、怒って剣で喪屋を切り倒し、足で蹴飛ばしてしまった。これが、美濃国の藍見(あいみ)川の上流にある喪山(もやま)であるという。

 タケミカヅチノカミ(建御雷神)とコトシロヌシノカミ(事代主神)

マテラスは、「こんどはどの神を遣わしたらよいか」とオモヒカネノカミ(思金神)や大勢の神に諮問された。神々は新たな使者としてタケミカヅチノカミ(建御雷神)を推挙した。そこで、アマテラスはアメノトリフネノカミ(天鳥船神)をタケミカヅチに添えて葦原中国に遣わした。

柱の神は出雲国の伊耶佐(いざさ)の小浜(現在の稲佐浜)に降りて、十拳剣を逆さまに波頭に刺したて、その剣の切っ先にアグラをかいて座ると、「そなたが領有している葦原中国は、アマテラスオオミカミの御子が統治する国として委任された。我々はそなたが国を譲る意向があるかどうか訊くために遣わされたものである。そなたの考えはどうか」と、オオクニヌシに訊ねた。

オクニヌシは「自分からは答えられない。代わりに息子のコトシロヌシノカミ(事代主神)に答えさせたいが、あいにく美保の崎へ狩猟に出かけて留守だ」と返答した。アメノトリフネノカミ(天鳥船神)を遣わしてコトシロヌシを呼び寄せて、意向を訊ねると、コトシロヌシは「承知しました。この国は天つ神の御子に奉りましょう」と言った。そして、乗ってきた船を踏み傾けて青葉の芝垣に変化させ、その中に隠ってしまった。

タケミナカタノカミ(建御名方神)

ケミカヅチは、オオクニヌシに向かって、「他に意見を言うような子がいるか」と訊ねた。オオクニヌシは「もう一人、タケミナカタ(建御名方)がいる」と答えた。そうこうするうちに、タケミナカタが大岩を手の先に下げてやってきた。そして、タケミカヅチに力比べを申し入れた。

ず、タケミナカタがタケミカヅチの手を掴むと、タケミカヅチはその手を氷柱に変化させ、さらに剣の刃に変化させた。それでタケミナカタは恐れをなして引き下がった。次に、タケミカヅチがタケミナカタの手を掴むと、葦の若葉のように握りつぶして放り投げた。タケミナカタが逃げ去ったので、諏訪湖まで追いかけて殺そうとすると、タケミナカタは命乞いをし諏訪を一歩も離れないことを約し、「葦原中国は、天つ神の御子に奉りましょう」と申し出た。

大国主神の国譲り

ケミカヅチはまた出雲に戻ってきて、オオクニヌシに向かって「そなたの二人の子供のコトシロヌシとタケミナカタは、天つ神の御子の仰せに従うと言っている。ところで、そなたの考えはどうなのか」と訊いた。オオクニヌシは「この葦原中国はことごとく献上いたしましょう。ただ、私の住むところは、天つ神の御子が皇位を継がれる立派な宮殿のように、地底の盤石に宮柱を太く立て、大空に千木を高々にそびえさせた神殿を造っていただけるなら、私は幽界に隠退しましょう」と申した。

ケミカヅチは、高天原に帰り上って、葦原中国を平定し帰順させた状況を復命した。



邇邇芸命(ニニギノミコト)

 ニニギノミコト(邇邇芸命)の誕生

マテラスオオミカミ(天照大神)は、葦原中国の平定が終わったとの報告を受けて、あらためて我が子のアメノオシホミミ(天忍穂耳)に「先に委任した通り、その国に天降って統治しなさい」と仰せられた。

ころが、天降ろうと準備している間に、アメノオシホミミとトヨアキツヒメ(豊秋津師比売)の間に、ニニギノミコト(邇邇芸命)という御子が生まれた。そこで、アメノオシホミミの申し出によって、アマテラスはこの孫を天降りさせて葦原中国を統治させることにした。

 サルタヒコノカミ(猿田毘古神)

ニギノミコト(邇邇芸命)が天降ろうとしているとき、天から降る道の辻に一人の神がいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らしている。

メノウズメノカミ(天宇受売神)が近づいて、いずれの神かと問うと、その神はこう答えた。「私は国つ神のサルタヒコノカミ(猿田毘古神)と申します。天つ神の御子が天降ると聞いて、先導役を務めたいと思い,お迎えに参上しました」

 天孫の降臨

うしてニニギノミコト(邇邇芸命)はアメノコヤネノミコト(天児屋命=中臣連らの祖神)、フトダマノミコト(布刀玉命=忌部首らの祖神)、アメノウズメノミコト(天宇受売神=猿女君らの祖神)、イシコリドメノミコト(伊斯許理度売命=作鏡連らの祖神)、およびタマノオヤノミコト(玉祖命=玉祖連らの祖神)の従えて天降った。

のとき、アマテラスは八尺勾玉(やさかのまがたま)、、および草薙の剣を渡し、さらにオモヒカネノカミ(思金神)、タヂカラヲノカミ(手力男神)、およびアメノイワトワケノカミ(天石門別神)も一行に加えられた。そして、「この鏡は私の御魂として、私を拝むのと同じように敬って祭られよ」と言われた。

ニギノミコトは、天空に幾重にもたなびく雲を押し分け、筑紫の日向の高千穂の霊峰に天降った。そして、地底の盤石に太い宮柱を立て、天空に千木を高くそびえさせた壮大な宮殿をに住まわれた。

 サルタヒコノカミ(猿田毘古神)とアメノウズメノミコト(天宇受売神)

孫降臨の時先導役を務めたサルタヒコノカミ(猿田毘古神)に対して、アメノウズメノミコト(天宇受売神)が独りで立ち向かって、この神の正体を明らかにした。そこで、ニニギノミコトはアメノウズメノミコトにサルタヒコノカミを送っていくように命じ、さらにこの神の名を負うように命じた。このため、サルタヒコの男神の名を負うて、女神のアメノウズメノミコトの子孫を猿女君(さるめのきみ)と呼ぶようになった。

ルタヒコノカミを送って帰ってきたアメノウズメノミコトは、ただちに大小あらゆる魚類を追い集めて、「お前たちは天つ神の御子の御膳(みけ)として仕えるか」と訊いた。多くの魚が「お仕えしましょう」と答えたが、ナマコだけは答えなかった。そのため、アメノウズメノミコトは紐小刀でナマコの口を裂いた。だから、今でもナマコの口は裂けているという。

 コノハナノサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)

ニギノミコトは、笠沙の御埼(薩摩半島の西端にある野間岬)で美しい乙女に出会った。誰かと訊ねると、「オオヤマツミノカミ(大山津見神)の娘でカムアタツヒメ(神阿部多都比売)、またの名をコノハナノサクヤヒメ(木花之佐久夜毘売)と申します」と答えた。早速結婚を申し込むと、「自分では返事致しかねます。父が返事を申し上げるでしょう」とのことだった。

オヤマツミノカミは娘が天孫に結婚を申し込まれたことを大層喜んで、姉のイワナガヒメ(岩長比売)を副えて、コノハナノサクヤヒメを差し出した。ところが、イワナガヒメは容姿がひどく醜かったので、ニニギノミコトは彼女を見て恐れをなし、親の元へ送り返した。娘を送り返されたオオヤマツミノカミはいたく恥じてこう言った。「天孫がイワナガヒメを娶られたならば、天孫の命は風雪に耐えて常に岩のように永遠に変わることがなく、またコノハナサクヤヒメを娶られたならば、木の花が咲き栄えるように繁栄されるであろうと誓願して、娘を二人並べて差し出した。しかし、コノハナサクヤヒメだけを留められた。天孫の命は木の花のようにはかないものとなろう」と。

ノハナサクヤヒメは一夜の契りだけで身ごもった。ニニギノミコトは「身ごもった子は私の子ではあるまい。おそらく国つ神の子であろう」と疑った。そこで、ヒメは「天つ神の御子であるならば、火の中で無事に生まれるだろうと、産殿に火を放った。そして、火の中で三柱の子供を無事に出産した。ホデリノミコト(火照命)、ホスセリノミコト(火須勢理命)、ホヲリノミコト(火遠理命)の三柱である。ホヲリノミコトの別名は、ヒコホホデミノミコ(日子穂穂手見命)である。



火遠理命(ホヲリノミコト)

 海幸彦と山幸彦

デリノミコト(火照命)は海幸彦(うみさちひこ)として海で魚を捕り、ホヲリノミコト(火遠理命)は山幸彦(やまさちひこ)として山にいる獣と狩った。ホヲリノミコトは兄のホデリノミコトに猟具と漁具を交換して使ってみようと何回も提案したが、兄はなかなか許してくれなかった。

っとの事で許しを得て、ホヲリノミコは兄の漁具を借りて釣りに出かけたが、一匹の魚も釣れず、その上に釣針を海に失ってしまった。兄は失った釣針を返せというので、弟は十拳剣を砕いて500本の釣針を作って償おうとしたが、兄は受け取らず、1000本の釣針を作って償おうとしても、兄は元の釣針を返すことを要求した。

 海神宮(わたつみのかみのみや)訪問

の許しが得られないので、ホヲリノミコが海辺で泣き悲しんでいると、海流を司るシオツチノカミ(塩椎神)がやって来て、理由を訊ねた。そして、「私が良い計画を立ててあげましょう」と言って、竹を編んで小舟を作り、「この船で良い潮路に乗って進めば海神ワタツミノカミの宮に着くことができるので、宮の門に着いたら、泉のそばの桂の木に登っていると、海神の女がうまく取りはからってくれるでしょう」と告げた。

えられた通りに海神宮に着いて桂の木に登っていると、海神の娘・トヨタマヒメ(豊玉毘売)の侍女が泉に水を汲みに来た。ホヲリノミコが水を所望すると、侍女は器に水を汲んで持ってきた。しかし、ホヲリノミコは水を飲まずに首に掛けた玉の緒を解いて玉を器に入れた。玉は器にくっついて離すことができなかったので、侍女はそのまま器をトヨタマヒメに差し上げた。

を見たトヨタマヒメは侍女に訊いて外に出ると、ホヲリノミコを見つけた。一目惚れした彼女は、美しい立派な男性が門前に来ていると海神に伝えた。海神はみずから門の外に出てきて、ホヲリノミコを宮殿に招き入れ、歓迎の宴を開きトヨタマヒメと結婚させた。こうしてホヲリノミコは3年間、海神の国に滞在した。

 ホデリノミコト(火照命)の服従

年が過ぎたある日、ホヲリノミコは失った釣針のことを思い出して深いため息を漏らした。妻のトヨタマヒメは夫に憂い事があるのに気づいて、父の海神に相談した。海神は詳しく事情を聞き出すと、大小の魚をことごとく呼び出して、釣針を取った魚がいないか聞いた。近頃赤い鯛が喉に骨が刺さって物が食べれないというので、調べてみると釣針があった。海神はすぐに取り出して洗い清め、ホヲリノミコに返した。

ヲリノミコが葦原中国に帰ることになり、一尋鰐魚(ひとひろわに)が送って行くことになった。海神は潮満珠(しおみつたま)と潮干珠(しおふるたま)をホヲリノミコに授けて、こう言った。「釣針の兄君に返すとき、私が教えた呪文を唱えた後に渡しなさい。そうすると、三年間は兄君は凶作で貧窮に苦しむでしょう。あなたを恨んで攻めてきたら、潮満珠を出せば潮水で溺れさせることができるでしょう。兄君が苦しんで許しを乞えば、潮干珠で命を助けることができるでしょう」

ヲリノミコは海神に教えられた言葉を唱えて釣針を兄に返した。それ以後、兄のホデリノミコはだんだん貧しくなり、荒々しい心を起こして攻めてくるようになった。そこで、ホヲリノミコは潮満珠を出して兄を溺れさせ、苦しがって命乞いをすると潮干珠を出して救ってやった。

れ以後、兄のホデリノミコはホヲリノミコの昼夜の守護人となって仕えようと言った。ホデリノミコの子孫の隼人(はやと)が、海水に溺れたときのさまざまな仕草を絶えず演じて今日まで宮廷に仕えているのは、そのためだ。

 ウカヤフキアエズノミコト(鵜葺草不合命)の誕生

ヨタマヒメが夫のホヲリノミコのいる地上の国に出向いてきた。すでに身ごもっていて出産が近づいており、海辺の渚に鵜の羽を葺草にした産屋(うぶや)を作って、そこで出産することになった。トヨタマヒメは、異郷の者が出産のときは本来の身体になって生むので、産屋を覗かないでくれ、と夫のホヲリノミコに頼んだ。

屋の屋根がまだ葺き終わらないうちに陣痛が始まり、トヨタマヒメは産屋に入った。妻の言葉を不思議に思ったホヲリノミコは、密かに覗いてみるとヒメは大鰐の姿ではい回り身をくねらせていた。その姿を見てホヲリノミコは驚き、恐ろしさのあまり逃げ出した。

に出産の現場を見られたことを知ったトヨタマヒメは、ウカヤフキアエズノミコト(鵜葺草不合命)を産み落とすと、ただちに海神の国へ帰ってしまった。しかし、夫を慕う心に耐えられなくて、その御子を養育するという理由で、妹のタマヨリヒメ(玉依毘売)を遣わした。

ヲリノミコト(またの名ヒコホホデミノミコ)は、高千穂宮に580年間住まわれた。フキアエズノミコトは叔母のタマヨリヒメを妻として、5人の子供をもうけられた。その末子をトヨミケヌノミコト(豊御毛沼命)、あるいはカムヤマトイワレヒコノミコト(神倭伊波礼毘古命)という。


【参考・引用文献】
次田真幸著「古事記(上)全訳注」 講談社学術文庫、日本古典文学大系「古事記 祝詞」岩波書店


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