妙法山の山頂近くに空海が創建したとの伝承をもつ古刹
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| 見晴台の阿弥陀仏 |
高野山真言宗の妙法山阿弥陀寺は、那智の滝の先にある有料の「那智山スカイライン」を10分ほど車を走らせた所に位置している。那智三峯のひとつ妙法山(標高749m)の山頂近くに建つ寺で、那智山の中腹に築かれた那智山スカイラインからの参詣が一般的なようだ。
那智大社から阿弥陀寺まで足を延ばす観光客はそれほど多くないようだ。スカイラインの途中に見晴台を兼ねた休憩所があり、そこから那智湾を見下ろす展望はすばらしい。しかし、車を止めて展望を楽しんでいる観光客や参拝客は一人もいなかった。見晴台の中央に巨大な阿弥陀仏の像が聳えている。あるいは、阿弥陀寺へのアクセスを示すモニュメントなのか?
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| 正面の大鳥居門 |
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| 幽魂が撞くという「一つ鐘」 |
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| 復元阿弥陀如来像を祀る本堂 |
那智山スカイラインの終点で車を降りると、駐車場の脇から妙法山の山門に続く参道がある。この寺に着いたのは正午ごろ、真夏の暑い日差しが照りつけていた。しかし、参道を覆いかぶさるよう続く杉並木が木陰を作ってくれている。梢からは珍しくカナカナ蝉の鳴き声が降ってきた。
阿弥陀寺の山門は、南面する大鳥居門である。寺の山門が鳥居になっているのは珍しい。新しい寺を山に造るとき、その山に元から鎮座している神に敬意を払い、加護を願うために昔は鳥居を建てることがあったそうだ。
この寺がいつ開創したのかよく分からない。寺の縁起は次のような妙法山のいわれを伝えている。今から1300年前の大宝3年(703)ことである。唐の天台山から蓮寂上人という僧が渡来しこの山で修行した。そのとき、彼は妙法蓮華経を写経して山頂に埋め、また立っている木を彫って釈迦像を安置した。その時から、経の名前をとってこの山は妙法山と呼ばれるようになったという。
その後、空海が高野山を開く前の年の弘仁6年(815)に妙法山で修行した。その折りに、極楽浄土への入り口として山腹にお堂を建て、阿弥陀如来を本尊として祀った。そのため、当寺は阿弥陀寺と号したという。
この阿弥陀寺は、女人禁制の高野山の代わりに女性が多く参詣したので、女人高野とも呼ばれた。また、ここは死者の霊魂が詣でる寺でもあった。人が死ぬと、その魂は、枕飯3合を炊く間に、枕元に供えられたシキミ(仏事に使われる常緑の小高木)を1本持ってこの寺を詣でるという。そして、釣鐘を一つ撞(つ)き、持ってきたシキミを妙法山山頂に建つ奥ノ院・浄土堂に供え、それから大雲取越えの山路を歩いていくとされている。これを「亡者の熊野詣」という。その亡者が妙法山に詣でて必ず撞くという「一つ鐘」が大鳥居門の左手にある。
大鳥居門をくぐると、正面に阿弥陀如来を安置した本堂がある。この寺の本堂には、鎌倉初期の作で、有名な運慶・快慶派の阿弥陀如来像が安置されていた。しかし、昭和56年(1981)、原因不明の火事で本堂が本尊ともども全焼してしまった。現在の本堂は、昭和59年(1984)に再建されたものである。また本尊は、旧仏像の写真をもとに京都の大仏師・松久宗淋に復元してもらったとのことだ。
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