補陀洛山寺(ふだらくさんじ) 補陀洛渡海の出発地

補陀洛山寺
補陀洛山寺の本堂

  メ モ

【所在地】 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浜ノ宮
【本尊】  十一面千手観音
【アクセス】JR紀勢本線「那智」駅下車、徒歩5分
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浜の宮王子の守護寺だった補陀洛山寺

智の浜の近く、那智駅から徒歩5分ほどのところに、熊野三所権現を祀る熊野三所大神社がある。この神社は、もとは熊野九十九皇子の一つで浜の宮王子だったため、浜の宮大神社(はまのみやおおみわしゃ)とも呼ばれている。浜の宮王子は、中辺路・大辺路・伊勢路の分岐点で、那智山参拝前には、この王子で潮垢離を行って、身を清めたといわれている。
十一面千手観音
本尊の十一面千手観音

野三所大神社に隣接して建てられている寺が補陀洛山寺だ。補陀洛山寺は、浜の宮王子の守護寺で、那智権現の末寺のひとつだった。明治初めに那智山で神仏分離が行われたとき、那智山の仏像仏具類が、この補陀洛山寺に移されたそうだ。

陀洛山寺は、現在天台宗に属し、白華山補陀洛山寺という。寺の本堂は平成2年(1990)に建て替えられたということで、まだ真新しい。本尊の十一面千手観音は平安後期の作で、重要文化財に指定されている。


この寺は「補陀落渡海」の出発点だった

陀洛山寺を有名にしているのは、ここが補陀洛渡海の出発地とされたからである。那智地方には、熊野灘の彼方に観音菩薩が住む浄土・補陀洛(ふだらく)があるという信仰があった。そのため、JR那智駅に近い砂浜から何人もの人たちがその浄土へ向かって旅だっていった。これを「補陀洛渡海」という。
渡海船の模型
復元された補陀落渡海船
船出した人々の碑
補陀落を目指して船出した人々の碑

の船出の仕方が面白い。小さな船に一ヶ月分の食料と共に閉じこめられ、外に出られないように扉に釘を打たれと、とも船で沖に向かって曳航された。そして、沖の綱切島に近づくと、供船でお経を唱えていた僧が曳き綱を切る。こうして船は潮に流され補陀洛を目指して死出の旅に向かう。

海船を復元した模型が寺の境内の建物の中に展示してある。船の上に屋形を取り付けた小さな船で、屋形の前後左右を4つの鳥居が囲んでいる。修験道の葬送作法では、死者は「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の四門をくぐって浄土に往生すると考えられている。屋形を囲む4つの鳥居は、おそらく渡海船がそのまま葬送の船であることを表しているのであろう。

録では、最も古い補陀洛渡海は平安時代の貞観10年(868)に行われたとされている。それ以後、18世紀の初め頃までこうした渡海が続いた。特に補陀洛山寺の住職は61歳になると渡海を行うことが、何時の頃からか習慣化していた。その年を過ぎても渡海しない場合は、信者に後ろ指を指されたという。江戸時代には、生者の渡海は行われなくなった。代わって、補陀洛山寺の住職が死亡した場合、あたかも生きているかのように扱って、かつての補陀落渡海の方法で水葬を行うようになった。

陀洛渡海で往生した僧たちは渡海上人と呼ばれた。補陀洛山寺の裏手に渡海上人たちの墓がある。那智の浜からは、21人が渡海を遂げたと言われる。補陀落を目指して船出した人々の名を刻んだ碑が、寺の境内に置かれている。



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