![]() |
| 熊野速玉大社 |
メ モ
【所在地】 和歌山県新宮市新宮1 |
平安中期までは速玉大社は本宮大社よりランクが上だった
主祭神の結(夫須美)大神は、第一殿の「結宮(むすびのみや)」に、速玉大神は第二殿の「速玉宮(はやたまぐう)」に、それぞれ祀られている。速玉大神が男神で、結大神が女神ということで、夫婦神と考えられ、別名をそれぞれイザナギノミコトとイザナミノミコトとされている。以前は2柱の神は同じ社殿に祀られてていたという。 海に近い速玉大社は、もともとは海の民の信仰から発生したとする説がある。「速玉」とは、玉のように光る生命力を象徴している。黒潮にのってこの地にやってきた古代の人々が、船と速さを競うようにして船の舳先で飛び散る飛沫を速玉と呼んだのだという。 現在、熊野三山は○○大社と呼んでいるが、これは第二次世界大戦前の国家神道の名残で、官幣大社であったことに由来する。平安時代中期に全国の主要な神社を列記した『延喜式』神名帳では、本宮は熊野坐(くまのにいます)神社、新宮は熊野速玉神社と記載されている。注目すべきは、当時は那智神社は式内社として認知されていない。 奈良時代から平安時代にかけて、熊野速玉神社は熊野坐神社よりも上に見られていたようだ。第46代孝謙天皇の時代に、「日本第一大霊験所」の勅額が速玉神社に下賜されている。9世紀半ばから諸国の神々に朝廷から位階が授けられるようになったが、神階でも速玉神のほうが、熊野坐神よりも上だった。両社に正一位が授けられて格差がなくなるのは、天慶3年(940)以降のことである。 旧来の熊野坐神・速玉神という呼称が本宮・新宮という呼称に一般化するのは、11世紀の末ごろとされている。その背景には、熊野三山が一体化し、本宮・新宮・那智の神々を相互に祀り合う「三所権現」の成立があった。 |