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| 熊野本宮大社の社殿 (左から第一・二殿、第三殿、第四殿) |
メ モ
【所在地】 和歌山県東牟婁郡本宮1110 |
熊野三所権現とも熊野十二社権現とも呼ばれてきた本宮大社
やがて国道311号線は熊野川に突き当たる。ここからは、熊野川の河岸に築かれた国道168号線を北に向かって走ることになる。このあたりは熊野川のかなり上流なのに、意外と川幅が広い。熊野の山野を潤しているこの母なる川も、しかし今は渇水期なのか、おびただしい川石がまるで海岸の砂浜のように続いている。車はやがて本宮の市街地に入り、音無川のほとりに鎮座する熊野本宮大社の鳥居の前に到着した。午前11時。橿原から約210kmの走行だった。
傍らで巨大な八咫烏の幟(のぼり)がはためく大鳥居の前に立って、大きく深呼吸を一つした。往古、多くの人々が隊列を組んで訪れた熊野本宮大社が目の前にあった。この神社が熊野信仰の中心である。熊野詣のすべての参詣路はこの神社を目指している。それから熊野川を下って速玉(はやたま)大社、那智(なち)大社へとめぐるのが、熊野詣での昔からのコースだった。 だが、本宮大社の社殿は当初から現在地にあったのではない。元の社殿は熊野川とその支流の音無川と岩田川が合流する中州にあった。明治22年(1889)の大洪水で倒壊したため、明治24年(1891)に、神像とともにこの地に移され、現在に至っているとのことだ。 大鳥居の奥に、薄暗い杉並木の石段が続ている。石段を登り切ると、参道の向こうに神門が見える。神門の脇でも八咫烏の幟がはためいてる。神門から神域に一歩神域に足を踏み入れると、明治24年に移建された3つの社殿が正面に軒を並べている。移建からでもすでに100年以上の風雪に耐えてきただけあって、すでに古色を帯びて、それなりに風格がある。 熊野本宮大社が大斎原(おおゆのはら)と呼ばれている中州に鎮座していた当時は、上、中、下の三社で構成されていた。このため熊野三所権現とも呼ばれていた。三社はそれぞれ四殿からなり、十二殿で祭神が祀られていたことから、熊野十二社権現とも呼ばれた。だが、明治24年に現在の地に移されたのは、上四社だけであり、下四社と中四社は大斎原に石祠を造営して合祀してある。 通常の神社では、それぞれの社殿に神々を合祀している場合、主祭神を祀る本殿が一番大きくて立派である。ところが、この本宮大社ではそうはなっていない。主神の家都御子大神(けつみこのおおかみ)は中央の第三殿に祀られているが、建物の規模は向かって右横の天照大神を祀る第四殿と同じだ。左横の速玉大神他三神を合祀する第一殿・第二殿の相殿(あいどの)に比べると遙かに小さい。
主神の家都御子大神を祀る檜皮葺きの本殿「証誠殿(しょうじょうでん)」は、神門の正面に建っている。平安時代に神仏習合が行われ、祭神は家都御子大神、その本地仏は「阿弥陀如来」とされた。後に述べるように、神仏習合を取り入れ、極楽浄土の中心にある仏の阿弥陀如来が本地仏になったことから、熊野の地は浄土を求める人々の聖地となった。 |