神倉神社(かみくらじんじゃ) 地上60mの岸壁に建てられた熊野速玉神社の摂社

神倉神社
霊石ゴトビキ岩の横に押しつぶされるように鎮座する神倉神社

  メ モ

【所在地】 和歌山県新宮市神倉1−13−8
【祭神】  高倉下命(たかくらじのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)
【主な祭事】2月6日に行われる御燈祭(おとうまつり)
【アクセス】JR紀勢本線新宮駅下車、徒歩35分
【関連地図】Yahoo!地図情報



538段の鎌倉積みの石段を登り詰めたところに鎮座する神社

石段の参道
急峻な鎌倉造りの石段が続く参道
階段途中の祠
階段途中の祠
神倉神社の瑞垣
神倉神社の瑞垣
霊石ゴドビキ岩
霊石ゴドビキ岩と神倉神社
野速玉大社から西へおよそ1.4kmのところに神倉山がある。山頂付近に一枚岩の切り立った岩盤があり、その上に数個の巨岩がどっかりと腰を下ろしている。地上60mの高さにそそり立つ岩盤は、海からもよく見え、神武天皇が東征の際に登った「天の磐盾」はこの磐であるとされている。一枚岩の上に腰をおろしている一番大きな岩を、地元では霊石ゴドビキ岩と呼んでいる。ゴトビキとは、この地方の方言でガマガエルのことである。この岩場一帯は速玉神社の飛び地境内になっていて、ゴトビキ岩の横に摂社の神倉神社が鎮座している。

の場所こそ、いわば熊野信仰の原点である。熊野三山に祀られている神々は、まず初めにこの場所に降臨したとされている。そのためゴトビキ岩は神々のご神体として長らく齋き祀られてきた。熊野速玉大社の創建は、この巨岩崇拝に起源を有するという。ずっと後の景行天皇の時代に、瑞垣と社殿を現在の社地に築いて神々を遷したため、速玉神社は「新宮」の名で呼ばれるようになった。

倉神社に参詣するには、山麓にある朱塗りの鳥居から続く急な石段を登って行かなければならない。全部で538段あるという鎌倉積みの石段は源頼朝が寄進したとされる。鳥居の先に見える石段の急峻さに怖じ気づいたのか、T.Y氏は「自分は参拝は遠慮して、ここで一息入れている」という。ある意味では彼の判断は正しかった。途中で何度も息切れして立ち止まり、上を見上げるたびに急勾配の石段が天に届くように続いている。

段の途中で小休止がとれるように配慮してくれたのか、200段ほど上った所に小さな空き地があった。その片隅に神社と地蔵堂の祠を一緒に祀ってある。空き地で一服していると、参拝を終えて石段を下ってきた女学生が、「もう要らないから」と杖を譲ってくれた。だが、中間点から上は杖を必要とするほど急な階段ではない。

段を登り切ると、小さな鳥居があり、瑞垣が張り巡らされている。その向こうに一枚岩の岩盤の上に数個の巨岩がどっかりと腰を下ろしていた。ゴトブキ岩である。ゴトビキ岩の横に、高倉下命(たかくらじのみこと)と天照大神を祀る小さな神倉神社が鎮座している。祭神の高倉下命は、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコミコト、のちの神武天皇)の東征に際し、熊野の地で武甕槌神(タケミカヅチノカミ)が下した布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ:石上神社に祀る)を天孫に献上して、大きな功績があった人物であ。

垣の傍らで屈伸運動をしている初老の男がいた。鎌倉積みの石段を何回か上り下りしていた人物である。声をかけると、リハビリのために階段の上り下りをしているという。何のリハビリかは聞かなかったが、見るからに足の筋肉などが引き締まった体つきをしていた。平安時代後期に興った神仏習合の流れにのり、多くの修験者が神倉山を訪れたという。ここで研鑽を積む修験者は「神倉聖」と呼ばれた。この初老の男は、さしずめ現代の神倉聖かもしれない。

年2月2日夜行われる神倉神社の例祭の御燈祭(おとうまつり)は、白装束に荒縄を締め、御神火のたいまつを手にした男たちが、神倉山の山頂から急な石段をかけ下る。見るからに勇壮な祭りである。



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