熊野那智大社(くまのなちたいしゃ) かっては「那智熊野権現」と称された山岳修行の一大霊場

熊野那智大社
熊野那智大社

  メ モ

【所在地】 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
【主神】  熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ。熊野結大神ともいう。別名・オオクニヌシノミコト)
【主な祭事】7月14日に行われる那智の火祭(扇祭ともいう)
【アクセス】JR紀勢本線「那智駅」下車、バス「那智算」下車、徒歩15分
【関連地図】Yahoo!地図情報


原生林の中に光り輝く「那智大滝」を祀る別宮飛瀧(ひろう)神社

那智大滝
那智大滝−展望台より
本3名瀑の一つ、133mの高みから命の根元である水が轟音とともに落下する那智の大滝は、まさに人知を越えた自然の造形であり、神秘そのものである。はるか熊野灘の海上からも眺められる滝の姿が、古代の人々には神が降臨する御柱そのものに見えたであろう。

野那智大社の社伝には、神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸したとき、原生林の間に光り輝くこの大滝を見て、神として祀ったと伝える。そして、その守護のもとに、八咫烏の先導を得て無事にヤマトに入ることができたという。しかし、この地方に住んだ人々は、神武天皇よりはるか昔から、この滝を神として崇めてきたにちがいない。

陀洛山寺からおよそ8km、那智川沿いの山道をおよそ500mの高さまで登ってくると、飛瀧神社前の駐車場に到着する。那智大滝が熊野観光のハイライトの一つとあって、まだ9時前の朝の早い時間なのに観光客が多い。どうやら、観光バスでやってきた台湾か中国の団体さんのようだ。

飛瀧神社の扁額を掲げる鳥居
飛瀧神社の扁額を掲げる鳥居
那智大滝へ下る石段
那智大滝へ下る石段
瀧神社は那智の滝を神体として祭る。社殿はなく、滝の前に拝所があるだけである。古くから修験道の滝行の聖地とされてきた。現在は熊野那智大社の別宮として扱われている。

古の杉の木に隠れるように立つ鳥居をくぐると、滝に向かって参道が下っていく。参道を下りきったところに滝前の小さな広場がある。滝の正面の、かってお滝拝所があった場所に自然石が置かれ、その上に金の幣を立てた祭壇が設けられている。熊野那智大社の起源をたどれば、この地で那智の滝を神として祀ってきた神社である。

の社殿を、滝から少し離れた見晴らしの良い現在地に移して、夫須美大神(ふすみのおおかみ、結大神(むすびのおおかみ)ともいう)を中心に国造りに関係した神々を祀った。そのときから、大滝は「別宮飛瀧大神」として祀ることになった。社伝では、その時期を仁徳天皇5年(317)としている。しかし、5世紀前半に現在の地に遷座したとする説もある。

仏習合で「飛瀧権現」となった大滝は、山岳修験道の一大霊場となる。「滝籠」の場として高僧をはじめさまざまな人々が訪れている。

那智大滝
那智大滝
えば、寛和2年(986)、藤原氏の策動により在位2年を待たずに19歳の若さで退位を余儀なくされ、出家した花山法皇は、その年の暮れか翌年、深く傷ついた心を癒すため熊野にやってきた。そして、那智の滝の上流にある「二の滝」近くに庵を結び、千日の修行に入った。修行中の花山法皇のもとに天狗が現われて、様々な妨害を加えたので、法皇は陰陽師の安倍晴明を呼び寄せ、天狗の妨害を防ぐよう命じ、無事に千日の修行を終えたという。

本三大火祭りの一つに数えられる「那智の火祭り」は、熊野那智大社の例大祭で、毎年7月14日に行われる。この祭りは「扇祭り」とも呼ばれ、十二体の熊野の神々が熊野那智大社から滝前の飛滝神社へ年に一度の里帰りを行なう様子を表したものである。十二体の神々は、滝の姿を表した高さ6mの十二体の扇神輿に移され、本社より滝へ渡御される。その途中で、重さ50s〜60sの十二本の燃えさかる大松明でその御輿を清めお迎えする神事が、参道いっぱいに繰り広げられる。



十三所権現を祀っている熊野那智大社

野那智権現は、11世紀末になって熊野三山として世に知られるようになるが、他の2社と異なり、それ以前は神社ではなく、山岳修行の場だったようだ。それが神仏習合によって「熊野三所権現」の一つになった。そのため、明治初期に神仏分離が行われるまで、「熊野那智大社」ではなく「熊野那智権現」と称していた。

鎌倉積み石段が続く坂道
鎌倉積み石段が続く坂道
瀧神社から熊野那智大社へ向かう参拝者は、ほとんど車で「神社お寺前駐車場」まで上っていく。だが、もう一つのルートがある。杉並木の間に築かれた鎌倉積み石段が続く坂道で、那智大社参詣のための裏参道となっている。こちらのルートを選べば、古道の雰囲気を味わいながら、約30分で那智大社と青岸渡寺に到着することができる。

倉積み石段を100mほど上っていくと小さな広場がある。以前は滝の遙拝所があった場所で、ここで滝を正面に見て伏し拝んだとされている。石積みの階段は、やがて車道にぶつかって終わる。その先に続いている普通の坂道を行くと途中に食堂がある。食堂の前の道を右へ行くと、青岸渡寺の朱色も鮮やかな三重の塔とその背後に那智の滝を見ることができる。食堂の前の坂道をさらに上れば、那智山青岸渡寺の本堂の横にたどり着く。

那智大社の鳥居の扁額
那智大社の鳥居の扁額
那智大社の鳥居と拝殿
那智大社の鳥居と拝殿
那智大社の本殿
那智大社の本殿
智大社は青岸渡寺の本堂の隣に位置している。瑞垣で隔てられているだけで、那智大社社殿は、青岸渡寺の本堂と屋根の高さが同じに揃えてある。そのはずである。明治の神仏分離令で寺側が取り壊されるまでは、同じ境内に位置していた。ただ本堂の建物があまりに大きいので、破壊を免れたとのことだ。

色蒼然とした青岸渡寺の本堂の前を通り、那智大社の境内に一歩足を踏み入れると、そこには荘厳な朱色の権現造りの社殿が、背後の樹木の緑に映えている。社殿は正面に五殿が南面して建ち、その左側に平入りの細長い社殿が一棟建っている。ただ、現在一部の社殿の修理が行われていて、拝殿の背後にある建物の見事な均整さは残念ながら見ることができなかった。

伝では、この神社の創建は仁徳天皇の時代(317年)としているが、実際のところは定かではない。文献上、その存在が確認できるのは、上に述べたように11世紀末からである。現在の社殿は、昭和10年(1935)に大改修が行われ今日に至っているという。

六殿まである社殿には、「十二所権現」の神々プラス那智権現である大己貴命(おおなもちのみこと)を祀っている。このため「十三所権現」と呼びなわされている。第四殿に祀られている熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)が主神である。この神は「むすびの神」ともいい、万物の成長・育成を司る神とされている。

内には、武将・平重盛が植えたと伝えられる樹齢800年のクスノキや、「神の使い」八咫烏(やたがらす)の像がある。



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