那智山青岸渡寺(なちさん・せいがんとじ) 神仏分離令によって那智大社から別れた寺

青岸渡寺の三重の塔
青岸渡寺の三重塔と那智大滝

  メ モ

【所在地】 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8
【本尊】  如意輪観音
【アクセス】JR紀勢本線「那智」駅下車、バス「那智山」下車、徒歩15分
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裸形上人が観音菩薩像を安置し庵を結んだのが始まり

那智山本堂
青岸渡寺の那智山本堂
野那智大社に隣接する那智山青岸渡寺は、西国三十三番札所の第一番札所として有名である。那智山は、もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場であり、熊野那智権現と呼ばれていた。明治になるまで、青岸渡寺は熊野那智権現に属する「如意輪観音堂」だった。

ころが、明治初年(1868)の神仏分離令によって廃仏毀釈の難にあい、如意輪観音堂は熊野那智権現から分離され廃堂になってしまった。当然、寺の建物は取り壊されたが、現在の本堂だけは、巨大すぎて壊されるのを免れたという。明治7年(1875)に、廃堂を天台宗の一寺として再興したのが、現在の青岸渡寺である。

の縁起によると、如意輪観音堂の開基は、4世紀にインドからやってきた裸形上人(らぎょうしょうにん)とされている。上人が那智大滝で修行を積んだ暁に、滝壺で黄金色に輝く丈八寸の小さな観世音菩薩を感得し、そこに草庵を結んで安置したのが始まりだという。6世紀の推古天皇のころ、大和の生仏上人がこの話を聞き、一丈の如意輪観世音菩薩を刻んだ。そして、裸形上人が感得した菩薩像を胎内仏として納め、この如意輪観世音菩像を本尊として安置するために、正式に本堂を建設したとされている。

安時代後期、那智山は観音浄土(補陀落浄土)に見立てられ、やがて西国三十三所観音霊場の第一番札所となり、多くの信仰を集めた。現在の本堂は、織田信長の焼き討ちにあって焼失したが、天正18年(1590)に豊臣秀吉によって再建された。歴史を感じさせる本堂の屋根には、豊臣家の家紋が現在も輝いている。この堂の高さは18mで、大滝の落口の高さと同じである。安土桃山時代の建築様式の特徴を色濃く残すこの本堂は、国の重要文化財に指定されている。

重文・宝篋印塔
重文・宝篋印塔
尊は秘仏であるため、2月にたった1日だけ開扉されるしか拝観できない。普段は前立ちの如意輪観世音菩を拝観することになる。本堂の北隅には、南北朝時代の重文・宝篋印塔(ほうきょういんとう、4.3m)がある。宝篋印塔は、もとはお経を納めておくものだったが、鎌倉中期から死者を弔うものに変化したとされている。宝篋印塔の近くには「鐘楼」が建てられている。

物殿にあたる滝宝殿には、白鳳、奈良時代の観音菩薩立像、また藤原時代後期の金剛界三昧耶形(曼荼羅を立体的に表現)が展示されている。観音菩薩立像は、大正7年に那智の滝参道口・沽池と呼ばれるところから発掘されたもので、飛鳥・白鳳時代から鎌倉時代初期にかけての熊野信仰を知る上で貴重な那智経塚出土品である。金剛界三昧耶形は国の重要文化財に指定されている。



本堂と那智大滝の中間に建つ三重塔

青岸渡寺の三重塔
青岸渡寺の三重塔
岸渡寺には、周囲に遮られることなく那智大滝を眺められる絶好のサイトがある。本堂と大滝のちょうど中間点に建てられた朱色も鮮やかな三重塔からの眺めである。しかし、那智の滝を借景にした三重塔の美しさも絶品である。

の三重塔は昭和47年(1972)に300年ぶりに復元されたという。高さ25mの塔の屋根に建てられた金色の宝輪が、周囲の山々の緑に映えて美しい。ここを訪れた者は誰しもカメラを構えたくなる景色である。

安の昔、皇位を追われた花山法皇は当地に御幸され、この那智霊山に深く感銘された。そして、那智大滝の上流にある二の滝の近くに庵を結び、千日の修行を行なったと伝えられている。三重塔から落下する那智大滝を眺めていると、花山法皇がこの地を修行の場に選んだ理由が十分に納得できる。因みに、法皇は修行の間に次の歌を詠んでいる。
石走る 滝にまがいて 那智の山 高嶺を見れば 花の白雲 (『夫木抄』四)



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