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| 青岸渡寺の三重塔と那智大滝 |
メ モ
【所在地】 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8 |
裸形上人が観音菩薩像を安置し庵を結んだのが始まり
ところが、明治初年(1868)の神仏分離令によって廃仏毀釈の難にあい、如意輪観音堂は熊野那智権現から分離され廃堂になってしまった。当然、寺の建物は取り壊されたが、現在の本堂だけは、巨大すぎて壊されるのを免れたという。明治7年(1875)に、廃堂を天台宗の一寺として再興したのが、現在の青岸渡寺である。 寺の縁起によると、如意輪観音堂の開基は、4世紀にインドからやってきた裸形上人(らぎょうしょうにん)とされている。上人が那智大滝で修行を積んだ暁に、滝壺で黄金色に輝く丈八寸の小さな観世音菩薩を感得し、そこに草庵を結んで安置したのが始まりだという。6世紀の推古天皇のころ、大和の生仏上人がこの話を聞き、一丈の如意輪観世音菩薩を刻んだ。そして、裸形上人が感得した菩薩像を胎内仏として納め、この如意輪観世音菩像を本尊として安置するために、正式に本堂を建設したとされている。 平安時代後期、那智山は観音浄土(補陀落浄土)に見立てられ、やがて西国三十三所観音霊場の第一番札所となり、多くの信仰を集めた。現在の本堂は、織田信長の焼き討ちにあって焼失したが、天正18年(1590)に豊臣秀吉によって再建された。歴史を感じさせる本堂の屋根には、豊臣家の家紋が現在も輝いている。この堂の高さは18mで、大滝の落口の高さと同じである。安土桃山時代の建築様式の特徴を色濃く残すこの本堂は、国の重要文化財に指定されている。
宝物殿にあたる滝宝殿には、白鳳、奈良時代の観音菩薩立像、また藤原時代後期の金剛界三昧耶形(曼荼羅を立体的に表現)が展示されている。観音菩薩立像は、大正7年に那智の滝参道口・沽池と呼ばれるところから発掘されたもので、飛鳥・白鳳時代から鎌倉時代初期にかけての熊野信仰を知る上で貴重な那智経塚出土品である。金剛界三昧耶形は国の重要文化財に指定されている。 |