玉置神社(たまきじんじゃ) 役行者も空海も修行のために立ち寄った「熊野三山」の奥の院

玉置神社
国常立尊(くにとこたちのみこと)など5柱を祭る玉置神社の本殿

  メ モ

【所在地】 奈良県吉野郡十津川村玉置川1番地
【祭神】  國常立尊(くにとこたちのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
【アクセス】●奈良方面から:近鉄「大和八木駅」、 五条バスセンター・JR「五条駅」からバス。 十津川温泉下車。タクシーで約30分。●新宮・本宮方面から: バス十津川温泉下車。タクシーで約30分。
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霊峰玉置山の山頂付近に築かれた荘厳な社殿

回の旅行に出かける前、ドライバー役のA.K氏は、時間があったら玉置神社の参詣を希望していた。玉置神社とは、標高1076mの玉置山の山頂付近に鎮座する神社で、修験道の修行の場としても知られ、世界遺産「紀伊産地の霊場と参詣道」にも含まれている。ただ、熊野三山巡りのルートとは少し離れるので、帰路時間が許せば寄ってみることにしていた。

宮大社の横にある食堂で昼食を取りながら、玉置神社までの時間を聞いた。すると、「車なら40分もあれば行けるでしょう」という返事が店の主人から返ってきた。思ったよりも近い。急きょ予定を変更して、玉置神社を訪れることにした。道は一本道である。国道168号線を熊野川に沿って北上し、十津川温泉の先の「折立」で右折して山道へ入ればよい。「折立」から神社までは12kmとのことだ。

参道
老樹大樹の間を縫って続く参道
下りの参道
玉置神社へ続く下りの参道
玉置神社の社殿
荘厳な玉置神社の社殿
津川温泉までの渓谷を見下ろす山腹に築かれた国道168号線はかなりカーブが多い道である。だが、折立で右折して、玉置山を上って行く12kmの山道は、さらにカーブが多い。運転するA.K氏もさすがに緊張して、玉置神社の駐車場に到着した時は疲れた様子だった。本宮大社からここまでの所要時間は40分程度とのことだったが、実際は1時間を要した。駐車場から本殿までは、さらに徒歩で20分かかる。

車道から続く参道は、杉の老樹大樹が生い茂る神域の中を行く平坦な道である。天に向かってのびる杉の巨木の群れが参道の両側を埋め尽くし、その立ち姿の美しさは参道の長さを忘れさせてくれる。「今まで参拝した神社の参道の中で、この参道が一番心が洗われる」とA.K氏はつぶやいたが、その実感が十分に理解できる。この参道は、知らず知らずのうちに参詣者を幽玄の世界へ誘うように、意識的に設計されているようだ。

道の最後は細い下り坂になっている。その坂道を下った先に、国土生成の神である國常立尊(くにとこたちのみこと)を主祭神として五柱の神々を祀る玉置神社の本殿がる。高山の山中には珍しく、本殿は豪壮な入母屋造り・総檜造りで、古びた外観が歴史を感じさせる。山の傾斜地に建っているため、参拝するには、その前の急な石段を登らなければならない。

殿は奈良県の有形文化財に指定されているが、社務所は昭和63年(1988)に国の重要文化財の指定を受けている。文化元年(1804)に建築された旧高牟婁院(たかむろいん)で、書院造りの建物であるが、傾斜地に建てたため背面が懸造(吉野建)となっている。部屋の仕切りに杉の一枚戸が用いられ、60数枚ある一枚戸には、狩野派の絵師による華麗な花鳥図が描かれている。

の社務所の屋根に青いシートが掛けてあった。理由をたずねると、先月の21日、台風6号の強風にあおられて折れた木の枝が、落下してきて社務所の軒先を破壊したそうだ。



天然記念物に指定されている境内の杉の巨樹群

大杉
本殿前から見下ろした大杉
夫婦杉
本殿裏の夫婦杉
道の両脇に林立する巨大な杉の木も立派だが、この神社の境内には、さらに驚くべきことがある。「神代杉」「夫婦杉」、「大杉」「常立杉」「磐余杉」など名前が付された巨大な古木が威厳を漂わせて立っているのだ。これらの巨樹は、当然のことながら県の天然記念物に指定されている。

殿の真後ろにある「神代杉」は推定樹齢3千年といわれる。さすがに頂は枯れて無くなっているが、往年の枝跡が冠をつけたような形で残り、そこにさまざまな宿り木が群生していて、その姿はまさに王者のような風格を漂わせている。最大の太さと高さを誇る「大杉」は、平成9年の測定では、胸高幹周りが約7.8m、高さが約40mに達するという。

単に3千年と言うが、我が国の有史以前からこれらの木々はこの地で枝葉を伸ばして成長し神々しい森を形作ってきたことになる。古代の人々にとって、神々の住み給う森として畏敬されたとしても、それは当然だった。社伝では、神武東征の際に、熊野に上陸した一行は八咫烏に先導されて当地まで進軍し、この地で兵を休めたという。もちろん、記紀にはそうした伝承は記載されていない。

らに、時代が下って、崇神天皇の時代に、王城の火防鎮護と悪魔退散のため、速玉神をこの地に奉祀したという。玉置という社名はこの伝承に負っている。一方、今から1300年前、役役者(えんのぎょうじゃ)は大峰山を根本中堂とする修験道を開いた。この修験道では、古くから奥駈(おくがけ)と呼ばれる修行を行なうため、熊野から吉野に至る間に75の行場が築かれた。玉置山は熊野から数えて十番目の行場にあたるため、行者の往来が盛んだった。その結果、玉置神社は熊野三社権現の奥の院として日ましに繁栄を極めていったという。

が、不思議なのは玉置神社に祀られている神々は、いずれも記紀神話でお馴染みの神たちである。その中で、國常立尊(くにとこたちのみこと)が主神として祀られているのは興味深い。実は、この神は天地開闢の初めに最初に出現した神で、『日本書紀』の冒頭に記されている。といって、ただそれだけで、特にこれといった事績を残した神ではない。そのように架空の記紀神話の巻頭を飾る神をこの地に祀られるようになった理由は、残念ながら寡聞にして知らない。

験道の行場として開かれた玉置山は、標高1076mの名山である。時間がなくて山頂まで登れなかったが、晴天の日には、山頂からは熊野の沖が望まれるという。駐車場に戻る途中の参道を歩きながら、山伏の吹く法螺貝の音が聞こえないかと聞き耳を立ててみた。しかし、聞こえるのは、樹木の高みで一夏の命を燃焼すべく必死で鳴いている蝉の声だけだった。



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