大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ) 「下の太子」の名で親しまれている太子巡礼寺

大聖勝軍寺の山門
大聖勝軍寺の山門

【所在】大阪府八尾市太子堂3-3-16
【宗派】真言宗
【山号】椋樹(りょうじゅ)山
【本尊】聖徳太子十六歳像
【開基】聖徳太子
【アクセス】JR関西線八尾駅下車、南西へ徒歩6分。


 JR関西線の八尾駅から南西へ徒歩で約6分。大聖勝軍寺は、八尾市立病院近くの国道25号線に面した市街地の真ん中にある。かってこの地は渋川の阿刀と呼ばれた。我が国の仏教創生期に、仏教の導入に反対したと伝えられる物部守屋の別宅が、ここにあった。587年(用明2)4月、瀕死の病床で仏教に帰依することを用明天皇が群臣たちに諮問したことから、廃仏派の物部守屋は身の危険を感じてこの地に退いた。用明天皇の殯が明けるのを待って、崇仏派の蘇我馬子は諸王子と群臣とに勧めて、守屋を滅ぼそうと謀った。そして7月下旬の暑い盛りに、蘇我馬子に賛同した崇仏軍は、渋川の阿刀で守備を固める守屋を攻めた。その攻防戦の主戦場となったのがこの地である。


■『日本書紀』が語る守屋討伐戦
 『日本書紀』はこのとき蘇我馬子側についた皇族と豪族の名を列挙している。蘇我馬子に従った軍勢の中には、泊瀬部(はつせべ)皇子を筆頭に、竹田皇子、聖徳太子、難波皇子、春日皇子らの名が、また紀男麻呂(きのおまろ)巨勢臣比良夫(こせのおみひらぶ)膳臣賀陀夫(かしわでのおみかたぶ)葛城臣烏那羅(かつらぎのおみおなら)らの豪族の名がある。一方、大伴連(くい)、阿倍臣人、平群臣神手(かむて)、坂本臣糠手(あらて)、春日臣などは、別道隊として志紀郡から渋川の家を攻めた。こうして見ると、当時の皇族や豪族のほとんどが、蘇我馬子側に荷担したことがわかる。ただ一人、傍観者として参戦しなかった皇子がいた。敏達天皇の皇子で、常に皇位継承者として名を連ねてきた押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ) である。

 物部守屋は自ら子弟と奴の兵士たちを率い、稲城を築いてよく戦った。衣摺(きぬずり)の地にあった榎木に登って、守屋は樹上から雨のように矢を射かけたという。守屋の軍は士気が盛んで果敢に戦ったため、討伐軍は恐れをなして三度退却した。

 討伐軍の後に従っていた聖徳太子は、戦闘の様子を観察しながら、願をかけなければこの戦いに負けるかもしれないと感じたという。そこで、ヌリデの木を切り取って、急いで四天王の像を作り、束髪の上にのせ、「敵に勝つことができたら四天王のために寺塔を建てよう」と誓った。蘇我馬子も同じように「仏の加護でこの戦いに勝つことができたら、寺塔を建てて三宝を広げよう」と誓った。そして、武備を整えて進撃を開始した。

 討伐軍の中に迹見赤檮(とみのいちい) という剛の者がいた。彦人大兄皇子の舎人(とねり)だったとされている。彦人大兄皇子は参戦しなかったが、代わりに弓矢が得意な舎人を派遣していたのだ。榎木に登って矢を射かける守屋を、赤檮は射落とすと、その首をはねた。これによって守屋軍はたちまち崩壊し、兵たちは逃げ散った。戦後の論功行賞で、赤檮 は一万代の田(一代は百畝)を賜ったという。以上が、『日本書紀』の語る守屋討伐線のハイライトである。


■大聖勝軍寺に伝わる寺院創建の伝承
神妙椋樹
門前に建てられた太子植髪像と四天王像
 この寺の正式な名前は、椋樹山大聖勝軍寺で、現在は高野山真言宗に属する。太子町の叡福寺が「上の太子」と呼ばれるのに対して、「下の太子」の名で親しまれている。寺伝では、聖徳太子子が、渋川の阿刀の館にいた物部守屋を滅ぼすにあたって、信貴山の毘沙門天に祈願し、四天王を祀ってその加護により守屋を討って、戦勝を得ることが出来たので、難波の高台に日本仏教最初の四天王寺を建立し、この渋川に勝軍寺を創建して、自身十六歳の植髪(うえがみ)の太子像と四天王像を安置したという。

 本堂の太子殿には、太子植髪像を安置し、その脇に弓矢を持つ四天王像を祀っている。これは4人の関係者をおのおの四天王になぞらえたもので、右から持国天(蘇我馬子)、多聞天(秦川勝)、広目天(迹見赤檮)、増長天(小野妹子)の四体となっている。


■山号のもとになった神妙椋樹(しんみょうりょうじゅ)
神妙椋樹
神妙椋樹
 大聖勝軍寺は、『日本書紀』に示されない伝説が伝わっている。物部討伐軍に参戦した聖徳太子が物部軍に追われたとき、椋(むく)の木が二つに割れて皇子の身をかくまったというのである。その椋の木が境内に祀られている。推古天皇は椋樹と大聖聖徳法王の勝ち軍を讃え、神妙椋樹山大聖勝軍寺という山号と寺名を賜ったという。






■その他にもある守屋関連史跡
 神妙椋樹以外にも、物部守屋に関連した史跡が寺院の境内や境内の近くにある。たとえば、大聖勝軍寺の境内には、物部守屋の首を洗ったという守屋池や馬蹄石がある。付近には、鏑矢塚、弓代塚、それに物部守屋の墓がある。

守屋池 物部守屋の墓
守屋池 物部守屋の墓

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